税滞納で宝塚市役所放火

 先週の金曜日、63歳の男性が「マンションの固定資産税を滞納していて、督促状がきていたので文句を言いに行った。腹が立って火炎瓶を投げ込んだ」と宝塚市役所に放火したため庁舎が燃え、市の職員や役所を訪れていた女性合わせて5人が煙を吸い込んで病院に運ばれるという事件があった。

 滞納している男性が悪いのは事実である。
 世の中は、少ない所得で納税などの義務を果たし、慎ましやかに暮らしている人がほとんどである。
 そういう人達からすると、「納税もしないで、マンションに住んで、一体何なの?貯金も数百万円あったっていうじゃない!」という感じだろうか。
 市の徴税職員も、地方財政が逼迫している状況で収税率を上げることや、きちんと期限内納税している人たちに対し、公平・公正な職務の遂行を求められて正義感にあふれているのだろうと思う。

 しかし、男性が悪いと言っても、もっと男性に寄り添って指導していくことはできなかったのだろうかとも思う。

 第一にこの男性の問題点は、固定資産税も払えないのに、マンションを持っていることだと思うのだ。
 身の丈に合わない持物を所有していることで、重い負担を強いられ、にっちもさっちもいかなくなっている。
 滞納税金を徴収する際に、男性がどうしたら生きていけるのかを伝えたらよかったのではないか。
 何年もの間に、チャンスはいくらでもあったはずだ。
 しかし、滞納しているから、差押え。差し押さえたら、公売といった手順で進んでいくのだと思う。
 そういったプロセスの中で、相手との人間的なやり取りがなかったのではないか。
 国税や市税の徴収の最前線にいる人たちが、給料をもらっているからと言ってもたくさんの嫌な思いをしながら苦労されているのも聞いたことがある。
 とはいえ、正義を振りざしていても、実際は空回りするケースなんていくらでもある。
 税の徴収の最前線にいる人たちに敬意を払いつつ、きちんと職責を全うしながらも、人間を相手にした仕事であることは忘れずにいてもらいたいと、今回の事件で思った次第である。

ブレイブ ハート

 上司と映画の話題になり、上司がイギリスの歴史が好きで、「ブレイブ ハートは良い映画だよ」と言われ、以前観ていたのだが、もう一度観たくなって先週末にDVDをレンタルして鑑賞した。
 ブレイブ ハートは、13世紀末、悪政に苦しむスコットランドの独立と開放を目指して戦った実在の英雄、ウィリアム・ウォレスの生涯を描いた歴史スペクタクル大作。
 上司のお勧めは、ウィリアム・ウォレスが処刑される間際、慈悲を乞うように執行人から言われても信念を曲げず、「Freedom」と言ったところ。
ブレイブハート | 映画-Movie Walker

 最初、ウィリアム・ウォレスは、イギリスに支配されるスコットランドで穏やかで平和な暮らしを望んでいた。しかし、妻が英国兵に殺されたことで、悪政に苦しむ人々と共に自由と解放を目指す抵抗軍を組織し、奇抜な戦略で圧勝しヒーローとなる。
 その後、仲間に裏切られるなどし、罠に落ち、ウォレスは捕らえられ、反逆児として裁かれる。ウォレスの死後、ウォレスの遺志を継いだロバート率いる軍が戦いに勝利し、スコットランドに自由と平和が訪れるというストーリーである。
 米アカデミー賞作品賞、監督賞などを取った作品なので、ご存知の方も多いと思う。

 映画は残酷なシーンも多く、平和や自由が簡単に手に入らないことを、しっかりと訴えてくる。
 この映画を観て思うことは、日本ではそういう気持になかなかならないかもしれないが、多くの犠牲のもとに、平和や自由や自立といったものが得られているということだ。
 「平和な日本を」と叫べば、簡単に平和や自由、そして自立が手に入るものという感覚しかない人たちがいると、ぜひ、観てもらいたいと思う。 こういったことは、良いとか悪いとかいう判断のものでは一切ない。人間の現実なのである。
 「平和憲法があるから、平和が守られた」というのも、同じ考えにしか思えない。
 地理的、歴史的に運が良かっただけである。
 一般の国民がそういった考えを持つのは、まだ許せる。
 しかし、国民を守るべき政治家が、一般の国民程度のことしか考えていないとしたら、信頼できない。
 そして、そのような政治家に、「この人が、自分や家族、同胞の命や財産を守ってくれる」とは、到底思えない。
 ウィリアム・ウォレスのような人はいない。
 平和が良いに決まっているが、平和や自由を守るためにそうならないケースもあるということが想像できない政治家は、本当はいらない。
 折しも参議院選挙の選挙期間中である。
 聞こえの良いことを言う人より、万が一のことに備えて用意周到で、そういった現実の中で平和や自由を守ろうとする信念の人を選びたいと思う。
 ・・・なかなかそういった人はいないのだが。

弁当の路上販売店

 TBSで放映している噂の東京マガジン
 先週は、オフィス街で営業している弁当の路上販売業者の話題。

 弁当の路上販売業者は、行商として、人が運べる量を、移動しながら販売する行為にあたるというが、実際には、止まって営業するルールを守らない業者が増えているという。
 また、路上弁当販売は、保健所の届け出だけで誰でも販売でき、普通の自動車や固定店舗で弁当を販売するには「許可」と「責任者の資格」が必要なのとは、雲泥の差があり、衛生面での問題や、家賃などの固定費を支払っている店舗営業の店に比べ競争優位な立場にあるという問題などがあるという。

 unizouが問題を整理すると、

  • 責任者が不明のため衛生面で消費者に安全性が担保できない。
  • 届出と許可の差が、店舗営業者と路上弁当販売業者に公正・公平な競争になっていない。
  • 路上で長時間販売するために、通行者にとって安全でない。

といったところだろうか・・・。

 そんな中、中央区千代田区、東京都などの保健所担当者がこの問題に当たっていたのだが、ある区の保健所の課長さんの答えには苦笑いしてしまった。

 区民からいろいろ苦情がくるんですよ。
 それも、弁当の路上販売なので、毎日11時頃からなんです。
 それで、職員が現場に出向くわけです。
 たまになら良いんですが、毎日来るわけです。
 そうすると、職員のお昼が取れないわけです。
 これはたまらないとなって、いろいろ考えたんです。
 そして、路上販売弁当は「行商」ではないとなって、締めだした訳です。
 * 辞書に、行商は「戸別販売」をすると書かれていたことを根拠にしている。

 unizouが、なぜ苦笑いしたかと言うと、課長さんの問題を解決しなければいけないという出発点が、職員のお昼だったからである。
 こういう課長さんの下では、働きたくないという気持も同時に湧いた。

 この問題でもう一つあるのは、路上弁当販売業者が、税金の申告がきちんとしているかどうかである。
 こういった問題には、保健所、警察署、税務署及び商売の公平・公正さを監視する機関の連携が必要である。
 「サラリーマン、OLには便利で安くて美味い、という意見が多い」が、いろんな視点から、自分たちの便益だけを考えず、総体的に問題の解決を図らないと、「職員がお昼を取れない」課長さんと一緒で、場当たり的な解決しかできないと思っている。

公務員の昇進

 大親友のK君は、公務員である。
 昨日、しばらくぶりに会って、親交を深めた。
 その中で話題になったのが、公務員の昇進のこと。

 Kクンが言うには、「公務員の昇進は、実績は何一つ関係ない。あるのは、調整と協調。うるさくなく、一緒に酒が飲めて、言うことを聞く部下が一番。そういう人が、出世する」という。
 民間なら、稼げない部下なんて、昇進するはずがない。
 もちろん、調整力や協調性は大事だが、偏った考えでの調整力や協調性は、会社を傾かせることになる。
 Kクンの話を聞いていて、この国は大丈夫かな?と一瞬思ったのだが、Kくんは続けて言う。
 「そうは言っても、必ず地道に組織を支えて、国民の負託に答えている人たちがいるんだよね」と言う。
 「幹部は、『超勤はするな』って言うけど、やるべき仕事はたくさんあって、どこの役所に行っても、役所の窓際にたくさんの書類が山積みになっていて、言われたとおりにしていたら、みんな先送りや塩漬けになってしまう。心ある人が、きちんと処理しているから、そんな問題にもならないのに、評価されていないんだよね」と・・・。

 参議院選挙で、政党が公務員の制度改革を訴えていて、それはそれで大事なことかもしれないが、根本にある問題は、もっと違うところにあるような気がしてならなかった。
 公務員が公務員を評価していること自体が、本当は問題なのかもしれないと、・・・。

 参議院選挙は近付いているが、政党の体たらくから国民の関心は薄い。
 公務員も頼りにならない人ばかりが幹部になっていくと聞いたら、この国の未来は暗い。
 いくら国民が頑張っても、いかんともしがたいときが来る。
 会社が潰れるのが良いとは言わないが、国が潰れると困る。
 「Kクンのような心ある公務員に頑張ってもらうしかない」という気持で、家に帰った次第である。

婚外子の相続差別

 昨日のニュースで気になったのは、結婚していない男女の子(婚外子)の遺産相続の取り分が、結婚した男女の子(婚内子)の半分とする民法の規定が、「法の下の平等」を定めた憲法に違反するかが争われた裁判のこと。
 以前、unizouは、相続の範囲が兄弟まで及ぶことに違和感があると書いた。
 法定相続人は、配偶者は常に相続人になるが、第一順位が直系卑属である子、第二順位が直系尊属である父母、祖父母、そして第3順位に兄弟となっているが、核家族化が進んだ今の時代では第3順位の兄弟の法定相続は不要であるという意見である。
一目で分かる!相続できるのは誰?法定相続人・相続順位(遺言・相続情報センター)
 もし、兄弟姉妹に相続してもらいたいなら、被相続人が生前意思表示をするべきであるということ。
 なぜなら、核家族化が進み、全然行き来の無くなった兄弟たちが、資産であれ、負債であれ相続することは不自然であるからである。
 逆に今回の件について、unizouは、今のままで良いという考えである。
 今回の裁判では、民法について違憲判決が出る可能性があるという。
 世の中の流れが、事実婚の形をとる男女やシングルマザーが増えるなど、家族の形や社会の価値観が多様化したということで、婚内子と婚外子とで差をつけるべきではないということなのだと思う。
 しかし、実際には、多くの日本人は、そういったことを是としていないというのが、unizouの感覚である。
 だとしたら、法定相続の第三順位の兄弟姉妹に対する相続と同じように、被相続人の意思で、相続の内容を決定する必要があると思うのである。
 これは、被相続人の責任の問われ方でもある。
 相続人である子から見た考えではなく、被相続人の親が問われる責任の在り方に繋がると思うのである。
 世の中、あるべき姿とは違った形を徐々に寛容な態度で受け入れていると感じることがしばしばあるが、本当は、そういった人たちに権利を認めないと言うのでなく、例外的に権利を認めるといった方が、unizouとしては筋が通っていると思うのだが、・・・。

機微のわかる

 先日、しばらく前に仕えた元上司から「unizouさんは、仕事をしていく中で、お客さんの機微のわかる人だったよ」と言われた。

 機微:表面からは知りにくい微妙な心の動きや物事の趣。 
 いつもお客に対し、そうできるよう仕事をしていたので、そう言われて本当に嬉しかった。
 一方、家族や知人はもちろん、上司や同僚、後輩に対しても同様なのだが、この場合は、「機微のわかる」とは言わず、「心を見透かしている」と言ったらいいだろうか。

 もうずいぶん前になるが、相当役職の上の方から、「unizouさんは怖い」と言われたことがあった。
 その時、怖いというのは、「暴力的に怖い」とか「言葉が怖い」というのではなく、「内面を見透かされているようで怖い」という意味に受け取れた。
 確かにこれまで生きてきて、人の仕草や行動、言葉で、その人が本当はどう思っているのかが見えたことがたくさんあった。
 だから、みんなから好かれている人を見ても、「???」と思う人がいた。
 見えないことが見えることは良いことではあるけれど、そうでないと感じることもある。人付き合いに疲れてしまうのである。
 誠実に対応すべき相手であれば、「機微のわかる」人であることは、相手にとって本当にふさわしいことをしてあげられることになるが、そうでない相手にとっては、「うざったい」人間に映るのだ。

 では、どうしてそういう人間にunizouはなったのか。
 それは、自分自身が、いろいろな側面を持っている人間だと承知しているからでだと思っている。
 強さや弱さ、優しさや冷たさ、賢さや愚かさなど、様々な面を内面に秘めている。
 そして、強く優しく賢い人間でありたいと願いながら、弱く冷たく愚かな人間になってしまう自分と葛藤している日々を送ってきた。
 だから、きっと多くの人は、そういう生き方をしているだろうと想像するのである。
 もし、unizouと周りの人が違うとしたら、「想像」しているかどうかの違いだけかもしれない。

 「機微のわかる」とは、「相手の状況がどうかと想像してあげる」、言葉を換えて言えば、「相手の状況を思いやる」ことかもしれない。
 自分が深みのある人間と言い切れる訳ではないが、「機微のわかる」人間であることは、きっとそういう部分もあるのではと、勝手にそう思っている。

ゴーイングコンサーン

 ゴーイングコンサーンとは、企業などが将来にわたって、無期限に事業を継続し、廃業や財産整理などをしないことを前提とする考え方。
 商法や会計学を学ぶときに、必ず出てくる言葉である。
 この言葉に表される会計処理に、固定資産の取得原価主義、減価償却制度、繰延税金資産の計上などがある。
 会社の起源は、大航海時代の航海ごとに作られたものが始まりだという。
 つまり、1回ごとの航海で、利益を清算していた。
 今では、「企業には継続するという社会的使命・責任がある」という前提で、会社経営はされている。

 では、一体企業が継続するために何が必要なのだろうか?
 多くの企業を見て来たunizouが思うには、

  1. 大きな利益を求めないこと
  2. 従業員に利益を還元すること 
  3. 取引先と対等の関係で取引をすること
  4. 社長など経営陣が自己の利益ばかり考えないこと

 が大事ではないかと考えている。

 そんな企業の典型が、実際にある。
 それは、長野県伊那市にある伊那食品工業?である。
 日経ビジネスオンラインから引用する。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090409/191444/?P=1

 「成長」にあえて背を向けている企業がある。この会社が重視しているのは従業員の幸せと企業の永続。そして、それを実現するために持続的な低成長を続けている。
 社是は「いい会社をつくりましょう」という。

 そして、この会社の経営理念は「社員の幸せを通して社会に貢献すること」

 「会社は何のために存在するのか。皆難しく考えるけど、オレにすれば難しいことなど何もない。人間すべての営みは人が幸せになるためにある。企業や組織、あらゆる団体は人間が幸せになるために作ったものじゃないのか」

 「どんなに儲けている会社があったって、従業員が貧しくて、社会に失業者が溢れていれば、それには何の意味もない。世界一売る小売りが米国にあるけど、従業員の10%近くが生活保護を受けているという。それで『エブリデイロープライス』。いったい何なのって思わないかい」

 「会社の目的は売上高や利益を伸ばすことではなく、社員を幸せにしたり、世の中をよくしたりすること。売上高や利益はそのための手段でしかない。商品やサービスを通して社会に貢献していくのはもちろん重要だよ。でも、それは企業の役割の1つであって、すべてではない。会社はもっと露骨に人の幸せを考えなきゃいけない」

 「立派な社会人であれ」。塚越会長は事あるごとに社員に語る。立派な社会人とは、人に迷惑をかけない人間のこと。会長自身、会社や社員、取引先に迷惑をかけないように生きてきた。その教えが隅々まで浸透しているからだろうか。同社の社員は「立派な社会人」を実践している。

 ギャンブルのように一攫千金を求めても、社長の利益ばかりを求めても、企業は長くは続かない。