縁故採用と農協、そしてTPP

 「米証券取引委、JPモルガン・チェースを中国有力者の子息・子女の縁故採用で調査に入る」というニュースが、先週流れた。
 「米金融大手JPモルガン・チェース<JPM>に対し、同行が中国金融当局の元幹部の子息らを社員として縁故採用し、そのコネを利用して中国企業から大きな商談を獲得し利益を上げていた疑いで調査している」ということらしい。
米証券取引委、JPモルガン・チェースを中国有力者の子息・子女の縁故採用で調査に入る(増谷栄一) - 個人 - Yahoo!ニュース
 大企業が一時の利益のために、不正なことをして、未来永劫続く企業に成りえるのだろうか?

 日本では、縁故採用がかなり多いと聞く。
 一方のアメリカも、縁故採用が全然ないわけではないらしい。
 しかし、二つの国で大いに違うのは、アメリカは「関係者同士の不公平な取引」や「賄賂に近い縁故採用」には厳しい対応をしているという。

 unizouが思うには、「縁故採用」をしていると言うのであれば、そう宣言してくれればいい。
 公正・公平に社員を採用していると言いながら、「縁故採用」をして企業は、信用できないし、入社してから、社員同士の間に不信感を抱かせる。優秀でない縁故採用者が、会社内で幅を利かせていれば、その企業は没落の一途を歩むことになるだろう。

 しかし、縁故採用を絶対してはいけない企業体がある。
 それは、官公庁や公的な企業、税金が少しでも投入されている企業である。
 良く耳にするのが、農協の縁故採用のことである。
 ここのところTPPのこともあり、農協の存在意義について良く考える。
 そして、農協が農業従事者のためでなく、農協に勤めている職員のためにあるとしたら、農協はTPPを語る権利はないだろうという風に感じている。
 農協が没落の道を辿るとしたら、そのような姿勢にある気がする。
 TPPは、農業従事者を助けるのか、農協を助けるのかということで、賛否が違ってくるという本質があるとも感じている。

シリア

 シリア情勢が好転せず、罪のない一般市民に多数の犠牲者が出ている。
 「戦争では何も解決しない」と国際社会が手をこまねいている間に、化学兵器が使われて犠牲者はさらに増えた。
 アメリカは、「世界の警察か!」と非難がましく言われ、イラク戦争の開戦時のこともあって信用が無いことから国際社会から拒否反応があり、また、国内からもシリア攻撃に反対のデモが開かれている。

 戦争はしない方が良いに決まっている。
 世界中の人すべてがそう望んでいるとは言えないが、ほとんどの人は、安定した生活の中で、家族とともに幸せにくらしたいと考えているはずである。
 そして、unizouも、その一人である。
 しかし、一方で迫害され、悲しみ、苦しみに包まれている大勢の人が多くの国にいる。
 そういった人達を助けるには、どうしたらいいのだろう。
 アメリカや日本など、民主的な国家で自由がある国であれば、国家からそんな迫害を受けることもないだろう。
 他国が関わらなくても、国民自らが独裁者や恐怖政治をやめる権利も力を持っている。

 テレビのコメンターはアメリカを批判するが、迫害されている人を助ける術を伝えない。
 「話し合い、話し合い」と言うが、そんなに簡単なら、シリアは正常化し、犠牲者は出ない。
 「シリア攻撃反対」を訴えるデモ参加者は、自分たちの立場ばかり考えている。

 シリア攻撃に賛成する人は、好戦者に思われ、非人道的な人間と思われる。 
 本当の弱者はどこにいるのか。
 助けるべき人たちは、どこにいるのか。

 unizouの嫌いなロシヤや中国(ロシヤ人や中国人でなく、国家)は、国連の常任理事国でありながら、正義を貫かない。自分たちの国の弱者に対する仕打ちを見れば、当然のことではあるが・・・。

 シリアにいる多くの弱者が、早急に救われることを願っている。
 弱者に非情な仕打ちをする独裁者や政府の人間に、それ相当の罰が与えられることも・・・。
 そして、偽善者のコメンテーターやデモ参加者が、シリアに入って弱者がどう迫害されているか見てきてから、いろんなことを訴えてもらいたいとそう思っている。

税金逃れの海外移住

 最近、税金を少しでも少なくするために、海外移住する人のことが問題になっている。
 今の時代に限らず、そういった人はいたのだろうが、税収が少ないから余計に問題になるのかもしれない。
 また、国が頼りないというので、税金を払いたくないということかもしれない。
 しかし、先日、テレビで観た海外移住をしたあるいは今後考えている人たちには、“何を偉そうに”(あまり言葉は良くないが)という気持にさせられた。
 そこで取り上げられていた人たちは、投資を営みにしている人たちだった。
 unizouは、利益のみを追求する投資家が、世の中を跋扈して生きていられる世界は、本当は良くない世界だと思っている。
 そして、そういった人たちは、一体いくらあれば、満足するのだろうかと思う。

 先日、ある講演で、講師が幸せであることの条件を、「ほどほどにお金があること」と話していた。
 unizouもそう思う。
 unizouも人間なので、多少は税金が高いことに文句を言うことがあっても、税金が高いからと言って、家族や仲間がいる、大好きな日本を離れて生活する気にはなれないだろうと思う。

賢い女性

 以前から職場の中に優秀だと思う女性はいたが、残念なことに、賢いと思える人が少なかった。少ないというより、ほとんどいなかったと言える。
 ある女性は、仕事もでき、気遣いもできる子だったが、次のような話を聞いて “賢い”女性ではないような気がし、がっかりした。そして、多くの女性が、そんな話をしているというのを聞いたので、そんなものかと思ってしまったのである。

 その女性は、unizouと一緒にいた当時、長野市に住み、配偶者である夫は同じ会社の違う支店に勤め、子どもは小学生にあがるくらいの子と2〜3歳の子が二人いた。実家は、長野市から少し離れた○○村で、配偶者である夫は、長野県の南部の中核都市だったと思う。
 あるとき、こんな話をした。

「たまには、孫を見せに、旦那さんの実家にも行くの?」
すると彼女は、真顔で、
「いえいえ、旦那が子どもたちを連れて行っています。私が行ったとしても、私だけ日帰りで帰ってきます」

 明らかに、旦那の実家は嫌だと言う感じである。
 仕事で接する彼女は、とても気が利いて仕事が早く、思いやりがある人なので、そんな答えは想像できなかったので、結構落胆した。

 最近、本当にまれなことなのだが、逆の話を聞いた。
 実は、大腸がんと闘っている叔父の娘(いとこ)は、良く新潟の夫の実家に行く。
 団地に住んでいたときは、そのことを周りの主婦仲間から、「よく行くね〜」と不思議に思われていたそうである。

 今、ほぼにち手帳を愛用しているが、2008.3.14 366の日々の言葉に次のような言葉があった。

「君が好きだ」ということは、「君を育てた環境が好きだ」
ということでなければ、成立しないんです。
「君は好きだけど
君のお父さんとお母さんは嫌いだよ」ということでは、
のちのち、たいへんな戦争が待っています。<『山田怜司が語る、永田照喜治。』より>

 unizouは、本当の賢さを知らないと、人生は苦く、悲しいモノなると固く信じている。

アメリカと日本

 アメリカは好きな国だ。
 大国ゆえにいろいろ言われても、国民が“自由”を大切にしている。
 そして、“自由”を守るための努力をも知っているし、している。
 そのことを如実に表す、ケネディの有名な大統領就任演説の一節が好きだ。

 世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機にさらされているときに、その自由を守る役割を与えられた世代はごく少ない。私はその責任から尻込みしない。私はそれを歓迎する。われわれの誰一人として、他の国民や他の世代と立場を交換したいと願っていない、と私は信じる。われわれがこの努力にかけるエネルギー、信念、そして献身は、わが国とわが国に奉仕する者すべてを照らし、その炎の輝きは世界を真に照らし出すことができるのである。

 だからこそ、米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。

http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-kennedy.html

 ところが、今、終戦記念日に関する報道を観ていて、アメリカに対する気持が揺らいでいる。
 それは、東京大空襲など各都市に行った空襲と原爆投下、そして沖縄戦について、unizouの気持に変化があったことだ。
 実は、unozouは、昔から、戦争を早く終結させるには、これらの悲劇もやむをえなかったことだろうと考えていた。
 良いとか悪いではなく、やむを得なかったのだと・・・。

 しかし、最近の報道を観て、やはり、軍事施設や軍人でなく一般市民に対する攻撃をしたことは、大昔からの戦争のルールを無視した非道なことで、許されないことだと思うようになった。
 アメリカがこのことを弾劾されなかったのは、結果として良いことではないと思うようになったのだ。
 今、アメリカと対等な関係が築けないのも、そういったことを受け入れてしまっている現実ゆえではないかと思うのである。

 アメリカと対等な関係を築くためには、アメリカ軍に日本から撤退してもらうことも大事である。
 しかし、そのためには、自分たちのことは自分たちで守るという覚悟も必要である。
 自由であることを守るためには、「国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために何ができるか」ということが重要なのは、アメリカだけでなく、日本でも同じなのだから・・・。

日本人であること

 日本人であることに誇りを持っているが、日本人以外の人に対する人たちに尊敬の念を抱くことも忘れない。そういったことを、自分としては基本にしているが、実際には、そういかないことが多く、苛立ちを感じることが多くなった。

 最近、中国や韓国の世論は、日本が右傾化していると言っているようだ。
 unizouには、どういうことを指して、そういうことを言われるのかわからない。
 安倍総理大臣が、集団的自衛権憲法改正をいうことが、右傾化なのだろうか?
 靖国神社を参拝することが、右傾化なのだろうか?

 同じ敗戦国のドイツは、軍隊を持ち、集団的自衛権を有していると聞く。
 国が独立国家として生きていくことは、当然、ドイツのようになるのが当たり前なのだろう。第二次世界大戦でドイツから被害を被った周辺国も、そのことに関しては、「ダメだ」と当然言わないということなのだろう。
 また、ドイツは憲法改正をして、時代にあったものに変えているという。
 憲法を聖域にして、時代遅れにならないよう、国民の強い意志があるのだと思う。

 永世中立国のスイスでさえ、

現代におけるスイスは、国軍として約4,000名の職業軍人と約380,000名の予備役から構成されるスイス軍を有し、有事の際は焦土作戦も辞さない毅然とした国家意思を表明しながら永世中立を堅持してきた平和国として知られる。

スイス - Wikipedia
という。

 靖国神社も、

 明治2年に幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり1853年(嘉永6年)のペリー来航(所謂「黒船来航」)以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」と称して祀り、」

ということになってしまった。神社で戦没者を祀ることにしてしまったのだ。

 戦後に日本を占領したGHQは、1945年[15]、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。そこでローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter、英語読みでビッターとなっている場合あり)神父とメリノール宣教会のパトリック・バーン (Patrick Byrne) 神父[15]に意見を求めることになった。ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」とし、「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」とまで言ったという[20]。そして次の言葉で締め括った。
靖国神社国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」

靖国神社 - Wikipedia

 近隣諸国とはうまくやっていきたいと思うが、誠実な国民の意見が通らない国では、なかなか難しいのかもしれない。
 そして、このまま未来の子供たちにこの問題が置き去りなることを思うと辛いものがあると感じている。

相続に見る因果応報

 相続のことで、不思議だと思うことがたびたびあった。
 そういったことは、一つの家族の相続だけでなく、いくつかの相続で聞いた話である。

 民法上では、何人でも養子縁組することが認められている。
 しかし、養子縁組をして相続税を少なくしようという人がいるので、相続税法では法定相続人になる人数を制限している。
 国税庁のホームページには、次のようにある。

(1)  被相続人に実の子供がいる場合
   一人までです。
(2)  被相続人に実の子供がいない場合
   二人までです。

国税庁ホームページリニューアルのお知らせ|国税庁
 つまり、例えば息子の嫁は相続人ではないが、嫁を養子縁組したり、あるいは孫を養子縁組したりして、相続人を増やすということをする人たちがいる。

 しかし、相続税を安くするにはいいのだろうが、その結果が相続人に悪い影響を与えることが多かった。
例えば、

  • 相続人間で争いが起こった。
  • 相続人が不治の病に倒れた。
  • 相続財産を誰かに騙されて失った。

などなどである。
 こんな話嘘でしょ?と思う人がいるだろうが、実際にあった話である。

 日本では、「財産残しても相続税で三代でなくなる」と言われ、悪名高き相続税ですが、実際は財産が無くなるのは、相続した人に維持する力がないのだから、仕方ないことだと思う。
 もし、三代と言わず百代先までの子子孫孫残したいなら、財産を維持できる方法もきちんと残すべきなのである。
 なまじっか、中途半端な相続財産を残すから、兄弟仲が悪くなったり、人に騙されたりする。
 そして何より、相続人に生きていく力を失わせる結果になる。
公方俊良住職の「般若心経 人生を強く生きる101のヒント」(知的生き方文庫:三笠書房)には、次のような一節がある。

 例えば、ある人がお金に困り生活に困窮している時、その人にお金をどっさり施してさしあげれば、相手の人はただちに苦しみから解放されるかもしれません。しかし、それで、本当の幸せに導かれるでしょうか。お金がたくさん手に入れば、今度はお金を持つことによって不幸に陥り、苦しむということは、世間によくあることです。これでは、真の解決にはなりません。諺に“飢えている人に魚を与えれば、それで終いだ。それより魚の捕り方を教えてやれば、その人は一生飢えることはない”というのがあります。まさに、このことが大切なのです。

 維持することができないほどの資産をもらっても不幸なことですし、その資産が活かされず、都市の真ん中に空き地や朽ち果てた家が残されているのも、世間全体からみれば無駄なことです。一時のことに心を奪われないことが、相続人にとっても、社会全体にとっても、大事なことなのだと思います。