日本人であること

 日本人であることに誇りを持っているが、日本人以外の人に対する人たちに尊敬の念を抱くことも忘れない。そういったことを、自分としては基本にしているが、実際には、そういかないことが多く、苛立ちを感じることが多くなった。

 最近、中国や韓国の世論は、日本が右傾化していると言っているようだ。
 unizouには、どういうことを指して、そういうことを言われるのかわからない。
 安倍総理大臣が、集団的自衛権憲法改正をいうことが、右傾化なのだろうか?
 靖国神社を参拝することが、右傾化なのだろうか?

 同じ敗戦国のドイツは、軍隊を持ち、集団的自衛権を有していると聞く。
 国が独立国家として生きていくことは、当然、ドイツのようになるのが当たり前なのだろう。第二次世界大戦でドイツから被害を被った周辺国も、そのことに関しては、「ダメだ」と当然言わないということなのだろう。
 また、ドイツは憲法改正をして、時代にあったものに変えているという。
 憲法を聖域にして、時代遅れにならないよう、国民の強い意志があるのだと思う。

 永世中立国のスイスでさえ、

現代におけるスイスは、国軍として約4,000名の職業軍人と約380,000名の予備役から構成されるスイス軍を有し、有事の際は焦土作戦も辞さない毅然とした国家意思を表明しながら永世中立を堅持してきた平和国として知られる。

スイス - Wikipedia
という。

 靖国神社も、

 明治2年に幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり1853年(嘉永6年)のペリー来航(所謂「黒船来航」)以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」と称して祀り、」

ということになってしまった。神社で戦没者を祀ることにしてしまったのだ。

 戦後に日本を占領したGHQは、1945年[15]、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。そこでローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter、英語読みでビッターとなっている場合あり)神父とメリノール宣教会のパトリック・バーン (Patrick Byrne) 神父[15]に意見を求めることになった。ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」とし、「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」とまで言ったという[20]。そして次の言葉で締め括った。
靖国神社国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」

靖国神社 - Wikipedia

 近隣諸国とはうまくやっていきたいと思うが、誠実な国民の意見が通らない国では、なかなか難しいのかもしれない。
 そして、このまま未来の子供たちにこの問題が置き去りなることを思うと辛いものがあると感じている。