機微のわかる

 先日、しばらく前に仕えた元上司から「unizouさんは、仕事をしていく中で、お客さんの機微のわかる人だったよ」と言われた。

 機微:表面からは知りにくい微妙な心の動きや物事の趣。 
 いつもお客に対し、そうできるよう仕事をしていたので、そう言われて本当に嬉しかった。
 一方、家族や知人はもちろん、上司や同僚、後輩に対しても同様なのだが、この場合は、「機微のわかる」とは言わず、「心を見透かしている」と言ったらいいだろうか。

 もうずいぶん前になるが、相当役職の上の方から、「unizouさんは怖い」と言われたことがあった。
 その時、怖いというのは、「暴力的に怖い」とか「言葉が怖い」というのではなく、「内面を見透かされているようで怖い」という意味に受け取れた。
 確かにこれまで生きてきて、人の仕草や行動、言葉で、その人が本当はどう思っているのかが見えたことがたくさんあった。
 だから、みんなから好かれている人を見ても、「???」と思う人がいた。
 見えないことが見えることは良いことではあるけれど、そうでないと感じることもある。人付き合いに疲れてしまうのである。
 誠実に対応すべき相手であれば、「機微のわかる」人であることは、相手にとって本当にふさわしいことをしてあげられることになるが、そうでない相手にとっては、「うざったい」人間に映るのだ。

 では、どうしてそういう人間にunizouはなったのか。
 それは、自分自身が、いろいろな側面を持っている人間だと承知しているからでだと思っている。
 強さや弱さ、優しさや冷たさ、賢さや愚かさなど、様々な面を内面に秘めている。
 そして、強く優しく賢い人間でありたいと願いながら、弱く冷たく愚かな人間になってしまう自分と葛藤している日々を送ってきた。
 だから、きっと多くの人は、そういう生き方をしているだろうと想像するのである。
 もし、unizouと周りの人が違うとしたら、「想像」しているかどうかの違いだけかもしれない。

 「機微のわかる」とは、「相手の状況がどうかと想像してあげる」、言葉を換えて言えば、「相手の状況を思いやる」ことかもしれない。
 自分が深みのある人間と言い切れる訳ではないが、「機微のわかる」人間であることは、きっとそういう部分もあるのではと、勝手にそう思っている。