会津の悲劇に思う

 NHK大河ドラマ「八重の桜」を数週間前から観始めた。
 年の初めから観る気はあったのだが、なかなか予定が合わず観そびれてしまい、そのままになっていた。
 今、ドラマは戊辰戦争のくだりに入り、たくさんの会津の悲劇が描かれている。
 何となく気になってテレビのチャンネルを合わせたことがきっかけで、年の初めの思いを一気に開花させるように観入っている。

 会津周辺には何度か旅したことがあった。近いところでは、東日本大震災の前の年に、阿武隈会津周辺を旅した。
 旅では毎回、楽しい旅行気分を味わいながらも、必ず会津の悲しい歴史を思った。

 なぜ、戊辰戦争会津の悲劇は起こったのか。
 どうして女性やこどもの多くの犠牲を払わずにはいられなかったのか?
 大河ドラマを観ながら、同じようなことを自問している。

 このことを考えるとき、いくつもの歯車が歴史を動かしていくのだという結論に達する。
 そして、それらは、決してきれい事だけでは解決できない、きれいごとでは語れないことなのだと・・・。
 いくつもの要因が折り重なっていくように形作られていくものであって、誰であってもそう簡単には変えることができないのである。

 第二次世界大戦後、日本は卑屈になったと感じている。多くの日本人が、戦前のすべてが悪かったように思い、日本人の良さに誇りを忘れてしまった。
 しかし、第二次世界大戦も、戊辰戦争のように、いろいろな要因が折り重なって起こってしまったことである。
 日本のすべてが悪く、日本人のすべてが悪いという考え方は、本当は良くないことなのではないか。
 悪いところは悪いとして直すにしても、良いところは良いとして誇りを持って生きる。
 今、日本に来ている日本が好きな外国人に、そのことを教えられている。
 本当は、すべての現実を受け止めて、償うべき罪を償い、誇りを失わないようにするのが大切なのではないか。

 戦後から今までの多くの政治家の発言を聞いていると、日本人として生きる自身を失わせる発言ばかりである。
 政治家はきれいごとばかり言って、現実に生きていない。
 だから、頼るべき政治家は少ない。
 会津の悲劇を思い、日本の悲劇を思う。
 そして、日本の悲劇は、頼るべき政治家がいないということ。
 それが一番心を傷めることである。