コミュニティ

 今日、神田に住んでいる叔父、叔母のところを訪問した。
 訪問して皆の話題になったのは、叔父叔母が住む家の道路で区切る1区画には、3世帯6人しか住んでいないこと。
 千代田区は、ご存知のとおり、平日昼間の人口はビジネスマンで多いが、平日夜と土日の昼夜は極端に人口が減少する。
 叔父・叔母の住む千代田区には、平将門を祭っている神田明神がある。神田明神は、江戸三大祭りの神田祭で有名である。
 しかし、最近は、地元の神輿の担ぎ手がいなくなり、企業の支援も少なくなっているという。
 叔父・叔母の自治会では、神輿を出すこともできないという。
 ここ最近、新しいマンションが建ち一時期より人も増えてきているが、居住者に自治会に入るようお願いに行くと、「何かメリットがあるのですか?」と聞かれ、断られるそうである。

 私たちは、戦後自分勝手な「自由」を手にしたが、そのために失ったものも多い。
 多くの先人達が、私たちにと繋いできてくれた自然や伝統は、自分の損得しか考えない人たちによって、勝手気ままに使われ、擦り減らせられていく。
 子どもを産むことも、家族になることも、コミュニティを作ることも、すべて損得から考えて行く人が多くなったので、少数の犠牲によって社会は成り立っているとも考えられる。
 国という大きな単位で自分の役割を考える必要はないと思うが、せめて小さなコミュニティの大事さを見直す必要があるのではないか。
 根なし草の人は、自暴自棄的な生き方になる可能性があるが、コミュニティを大事にする人たちは、人とのかかわりの中で、責任ある正しい生き方をする。
 国は、災害の時にその存在意義を果たすコミュニティが大事であることを周知し、普段からそういったできる範囲で国民が協力することを訴え続けるべきだと思う。
 諸外国でも、コミュニティが大事にされている。
 東日本大震災で東北の人たちが称えられたのも、地域の人たちが協力し合いながら、困難を乗り越えたからである。
 コミュニティをきちんとして、人々が助け合えるような環境づくりをしていけば、どんな防災計画よりも心強い対策になると思うのである。
 それぞれの人が、社会の在り方をもう一度見直す必要がある時期に来ているのかもしれない。