橋下市長の従軍慰安婦発言

 従軍慰安婦や米軍の風俗産業の活用に関する橋下市長の発言が、いまだにマスコミに取り上げられている。
 そんな中、現代史家の秦郁彦氏へのインタビュー記事が、読売新聞の「語る」という特集記事で「橋下氏正しいが舌足らず」という見出しで掲載されていた。

1 当時の政府、軍の上層部が慰安婦を必要と考えていた。
2 戦後の日本に慰安婦は存在しないのに、橋下さんが「現在も必要だ」と考えるはずはない。
3 当時、国内では売春を職業として公認し監督する公娼性があった。公娼性をとっている国は今でもヨーロッパなどあちこちにある。レイプと性病の防止が主な理由で、慰安婦も公娼性が戦地に移行しただけ。合法的だったことを現在の視点から謝罪や補償の対象とするのは法常識に反する。
4 戦前の朝鮮半島で発行されていたいくつかの大新聞に、「月収は300円以上」とある慰安婦募集の広告があり、当時の兵士の月給が10円以下の時代で、30倍にもなる。
5 強制連行を主張する「運動体」の人たちは慰安婦を「姓奴隷」と呼ぶが、こんなに収入のある奴隷なんてありえない。

 人類の歴史の中で、野蛮なこと、非人道的なことが数多く繰り返されてきている。
 これは、歴史を勉強したり、本を読んだり、映画を見たりすれば、わかることである。
 こういったことは、良い悪いではなく、事実である。
 事実は事実として受け止め、個々人の人間の尊厳を守るにはどうあるべきかを考えるのが必要だと思う。
 また、人間そのものがどういうものであるかを、深く洞察することも必要だと思う。

 そのためには、どうしたらいいだろうか。
 unizouは、数多くの映画を観る。
 現代の映画には、暴力シーンがある映画が多い。
 だから、自分が暴力的になるかというと、そうはならない。
 先日観た映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」では、アジア人テロリストに多くの米国民が次々と撃ち殺され、最後には、アジア人テロリストも全員死ぬという「残虐」な映画だ。
 あり得そうな話でもあり、あり得ない話とも考えられるが、人間が何かを守り気になれば、きっとそういうことはあるし、過去においても現代においても、似たようなことは起こっていた。
 映画としては、フィクションであると楽しみながら、一方で、もし、そんなことが起こったら自分はどう行動するか。
 理性を持ちながら行動しようとするだろうが、所詮、本脳は動物と変わらない。
 いつでも理性が本能を制御できればいいが、そうならない場合があることを知っていることは、まわりの人間から自分の身を守るためにも、自分がそういう野蛮な本性をさらけ出さないためにも大切なことだと思う。
 自分や周りの人を聖人君子のように見ていたり、そうあるべきだと固定的に考えていたりしたのでは、とても社会の様々な問題にも対処できないし、自分自身が幸せな生き方をすることができないと思う。
 だから、橋下市長は、きっと今までの経験から人間がどういうものであるかを良く知っていて、人間がどうあるべきかを一生懸命考えてくれて、さまざまな問題に発言しているのだと思うのである。