どういう人間でありたいか

 読売新聞に特別編集員の橋本五郎さんが、「五郎ワールド」と題してコラムを執筆されている。橋本五郎さんはテレビで見かけることも多く、そのコメントもわかりやすく、納得がいくものが多いのだが、コラムも同様で楽しみにして必ず読んでいる。
 先日、6月8日土曜日のコラムは、「高潔の友を送る」と題して、氏の友人のアメリカ政治研究の第一人者で桜美林大学教授(東大名誉教授)の五十嵐武士さんのことを書いておられた。
 五十嵐教授は、「高潔な人格の人で、鄙劣(ひれつ)な所、卑怯な所、俗悪な所」がなかったそうです。
 1969年のあるとき、橋本さんと五十嵐教授が、研究室から昼食のために出て正門へ向かう時、数人の学生が一人の学生を取り囲み、罵声を浴びせながらこづいたり、殴ったりしているのに遭遇したそうです。橋本氏は「また、やってるな」くらいで通り過ぎようとしたそうですが、五十嵐教授は、「おい、やめろ」と声をかけ、学生たちが対立する団体の名前をあげたので、「いや違う。そんなことは関係ない。目の前でたった一人を囲んで暴力を使っているのを見過ごすわけにはいかない」と強い口調で言ったそうです。
 橋本さんは、その時、五十嵐教授の人格に深い尊敬の気持ちを抱いたそうです。
 「人としてきちんと生きるとはどういうことか」を教えてもらったとも書いています。

 また、五十嵐教授は、孤立を懼れなかったそうです。
 自分が正しいと思えば、私的な人間関係や多数意見とは関係なく、それを主張し、それは、私利私欲のためでも、鄙劣な動機によるものでも、決してなかったそうです。そして、孤立を懼れないということで、友情を重んじないということではなく、五十嵐教授は義理堅く、そして親切だったそうです。

 橋本さんは、五十嵐教授ががんになったと同時期に、胃がんの手術を受けたそうですが、その時も死に直面しいかにあるべきかも教えられたそうです。

 コラムの最後には、次のようにあります。

 「高潔の友」を失った今、その日を静かに迎える覚悟だけは持ちながら、与えられた仕事をきちんとこなし、淡々と一日一日を大切に生きよう。そう思い始めている。

 五十嵐教授の生き方に、橋本氏同様尊敬の念を抱いている。
 自立した人間として物を考え、孤立を懼れず、私利私欲、多数意見に関わりなく主張する、本当はすごく人間的(人の弱さや強さを知る)な人で、やさしく強い人です。
 それは、きっと、五十嵐教授の名前「武士」そのもので、とかく失われた本当の意味での武士道を生まれ持っていた人だと思うのです。
 これからでも遅くないので、五十嵐教授を見習って生きて行こうと思った次第です。