憲法改正論議に思う

 自立した人間であれば、強い弱いは別にして、誰かに危害を加えられそうになれば、自分で自分の身を守ろうとするのは当然である。そして、自分の周りにいる大切な人に危害が加わるようなことがあれば、身を持って防ごうとするのも当然である。
 そういう人たちが、常に誰かを傷つけるために暴力をふるっているかというと、そんなことはあり得ない。

 戦争が嫌だと思うのは、普通の人間の感覚である。unizouもそう思っている。
 だからと言って、国家が無防備で良いとは到底思えない。
 あまりに、国民に対し無責任である。いや、国民が無責任だと思う。
 テレビに出る識者の人たちが、「戦後、戦争に巻き込まれなかったのは、平和憲法憲法9条のお陰である」と言い、「憲法を守ることこそ大事なこと」だと言う。
 しかし、実際は、アメリカの傘の下で、他国の脅威から守られてきたに過ぎない。
 いつでも、日本は侵略される可能性があったのだと思う。

 武士は、刀を常に身に着けていたが、刀を身に着けることで好戦的になり、やたらに人を切りつけていたかというとそんなことはない。
 大事なのは、刀がどういうもので、どう使われるべきかを、武士が承知し、自分を律していたかということである。
 多くの普通の国が、軍事力を持ち、その行使に責任を持って臨んでいる。
 憲法9条を改正したからと言って、好戦的になり、軍事力を行使することに抑制が利かなくなるとしたら、国家が民主的に自立していないからである。
 きちんと国家がどういうものかを理解して、この議論をしないと、マイノリティーの理想論ばかりの意見が幅を利かせ、普通の感覚の人たちは、無責任な態度に陥る。

 それにしても、護憲派と言われている社民党福島瑞穂議員が、クラブ深夜営業規制緩和の訴えを踊りながらしていたが、とても正気の沙汰とは思えない異様な光景だった。
 ダンス自体を皆がすることは良いことだと思うが、クラブの風営法規制は別物である。
 クラブの深夜営業について保護しようとするこんな人が、国の在るべき姿を考えながら、責任を持って憲法改正について議論してくれるとは到底思えない。

 責任感のある人とは、言いにくいこと、やりにくいこと、避けて通れないことを国民に示し、自ら率先して困難に立ち向かう人である。
 理想論ばかり並べて、いざという時に逃げられたときに、国民は本当に頼るべき人が誰かを知ることになると思う。そうならないために、きちんと国家がどうあるべきか、自立した大人の対応で国民一人一人が議論すべきべきだと思うのである。