メガバンクと信用金庫

 グローバリゼーションという命題の下に、大手銀行の再編・統合がされてメガバンクができたが、メガバンクになったからと言って預金者や事業者に寄り添って事業を展開しているのかと言うと、そうでもないらしい。
 そうでもないらしいというのは、自分がそういう目に遭ったわけではなく、そういう声をよく耳にするから、そう言う言い方にならざるを得ないのだが、unizouが接してきた多くの人たちから、「大きな銀行ほど晴れた日には傘を貸して、雨の日になると傘を貸さない。もっとひどいと、雨の日に貸した傘を取り上げる」といった言い方、あるいはそれに似たような言い方をしているのを何度も聞いた。
 バブル崩壊後、「これからの企業に求められるのは、グローバリゼーション化だ」と言われ、銀行も「規模が大きくならないと、世界の銀行に対抗できない」と言われ、大手銀行の再編・統合がされた。
 しかし、規模が大きくなることが、銀行や預金者、さらには国民にとっていいことなのだろうか。
 規模が大きくなることで、反対に失っていることはないのだろうか。
 銀行の利益は大きくなるが、それはただのマネーゲームに過ぎないのではないか。そう考えてしまうのである。
 先日、朝日新聞に「行列のできる信用金庫」と言う見出しで、「おばあちゃんの原宿」として有名な東京・巣鴨巣鴨信用金庫本店についての記事が掲載された。

 巣鴨では毎月4日、14日など「4」のつく日に縁日が開かれ、高齢者でにぎわう。同信金は「トイレや休憩場所を提供しよう」と、20年前からホールを「おもてなし処」として開放。お茶などを配り、落語家を呼んで演芸会も開く。今月、おもてなし処の来場者は通算100万人を超えた。「四の市」はこの延長で始まった。同信金の年金受け取り口座は年々増加し、昨年、9万件を突破した。
 全国信用金庫協会の篠原幸治・広報部次長は「信用金庫イコール小さい銀行ではない」と強調し、「弱者救済から始まった非営利組織。行政とは違う視点で地域の課題に取り組むという点ではNPOやNGOと重なる部分がある」。取引先を巻き込み、地元の名産品を作ることもあるという。
 たとえば、きのくに信金和歌山市)が16年前に始めた「一声運動」。一人暮らしの年金受給者約1200人を毎月、職員がまわり安否確認とともに振り込め詐欺などへの注意を呼びかける。倒れている人や、火事を見つけたこともある。
 磐田信金静岡県磐田市)は2004年、高齢者の利便性を考えて出張業務を始めた。オンライン端末窓口を設置した移動店舗車を導入、山間地域の集落をまわる。東日本大震災直後は津波で営業できなくなった石巻信金宮城県石巻市)に移動店舗車を貸し出した。
 若い世代からは「ネットのサービスに力をいれないの?」と聞かれることもあるが、磐田信金の加藤喜彦・経営企画グループ長は「震災後、改めて普段から面識をもっておくことの大切さを痛感した」と話す。
 巣鴨信金には、高齢化が進む台湾などから視察が相次いでいる。露木教授は「互助的に支え合う、日本独自の社会システム。安全面でのリスクヘッジは必要だが、『信金モデル』を海外へ輸出できる可能性もあるのでは」と話している。

 商売とは地道なものだ。一度に大きく儲けることなど、本来の姿ではない。
 信用金庫やメガバンクの役割分担があったとしても、メガバンクが目指しているものは、本当に正しいのか。
 もう一度、グロバリゼーションと言う言葉に幻惑されずに、本来の銀行としての役割に向き合って欲しいと願っている。