女性手帳の配布見送りに思う

 本当に困ったものだと思う。
 女性手帳の配布が見送りになったというニュースの件である。 
 こういったニュースを見るたびに、マイノリティを代表すると思われる女性団体の傍若無人ぶりに辟易する。
 そして、簡単にその主張に屈する行政の腰の据わらない対応に、呆れるばかりである。
 日本は、マジョリティーの人たちが沈黙していると言われているそうである。
 多くの人は、きっと、女性団体の主張に与することはないと思う。

 今回、女性手帳が配布見送りになった理由は、女性団体などの「産むか産まないかに国が口を出すのか」との批判によるものだと言う。
 「産むか産まないかに国が関与する」ために、女性手帳を配布することになったわけではないだろう。
 また、こどもを育てる責任を女性だけに押し付けるためでもないだろう。

 一部の人の意見に、同性愛者の人がどう受け止めるのか、いつ産むかは個人が決めることなどというものがあるが、全くのナンセンスな意見である。
 すべての異性愛者の人たちが同性愛者を否定しているわけでもなく、同性愛者の人たちも、女性手帳の配布に目くじら立てることなどあり得ないと思う。だいたい、同性愛者は自分たちが、こどもを産むということについて、どういう立場にいるかという現実を受け入れているだろう。
 また、「いつ産むかについては個人が決めること」と言う意見もあるが、当たり前のことである。女性手帳の配布によって、いつ産むかを変えるくらいなら、いつ産むかは大した理由もないということだろう。
 あくまでも、女性手帳の配布は、妊娠・出産のリスクを周知することが目的であり、女性の保護である。
 男性が育児をしないことの理由になるのではないかなどという意見もあるが、女性のための手帳か、こどもを育てるための手帳かによって、内容が変わるだろう。

 有識者会議「少子化危機突破タスクフォース」の報告書には、「客観的情報の提供で自己決定の尊重を支援するのが基本。女性のみを対象とする印象を与える名称は避けるのが適当とし、個人の生き方への介入にならないよう注文をつけた」そうである。
 こんなこと当たり前のことである。
 しかし、今回の女性手帳がそういう理念にどう相違しているのかということは、皆目理解できないのである。
 そして、女性団体とは、本当に女性を代表している人たちの集まりなのかと思ってしまうのである。