人間に与えられていないものは何であるか

 今日、大腸癌が見つかり入院している叔父を見舞いに行った。
 先月末に、癌を取り除く手術をしたが、開腹してみたら、癌が大きくなりすぎていて取り除くことができなかったという。明日、退院することになるが、結局、これから癌が成長するのを遅らせ、叔父を弱らせていくことを少しでも先に延ばす以外に方法はないようだ。叔父の寿命はすでに宣告されたようなもので、本人の辛さや痛みを考えると、居たたまれない気持ちになる。
 それでも、ベッドの上の叔父は、多少痩せたかな?と思うくらいで、以前と変わらない表情で笑い、「これから先の治療を頑張らなければ」と言っていた。

 5月の連休中に会社の幹部が、58歳の若さでお亡くなりになられた。昨年の9月に膵臓癌が見つかったが、以前と変わらないようにずっと仕事をしていた。明らかに痩せて行っているのがわかったが、本人は一部の人にしか知らせず、亡くなる数週間前まで職場に来ていた。

 先週の木曜日に、可愛がっている後輩と長野駅で偶然会った。お互い出張中だったが、彼は、おかあさんが危篤だと言うので、自宅のある上越市に帰るのだと言う。
 彼のお母さんは、今年の1月に乳癌がわかり、進行が早くもう手に負えない状態だったそうだが、昨年までは、全くの元気なお母さんだったという。

 座右の書にしている「人はなんで生きるか」と言う本の中に、次のような場面がある。

 お金持ちの旦那が若い男を連れ、20ルーブルする上等な皮を持って「この皮で1年ぐらいはいても形の崩れない、縫い目の切れない長靴を期日までに作ってくれ」と靴屋セミョーンに依頼しに来ました。
 神の罰を受けてセミョーンのところにいた天使のミハイルは、その仕事を引き受けるように言います。ミハイルは、早速仕事に取り掛かりましたが、作ったのは長靴でなくスリッパでした。セミョーンは、これはどうしたものかと思いましたが、そこにお金持ちの旦那と一緒に来ていた若い男が入ってきて、「長靴は不要になった。旦那様は亡くなったのだ。だから、棺に入れるときに履かせるスリッパを大急ぎで作ってくれ」と言ったので、作ってあったスリッパを渡しました。

 ミハイルは、物語の最後に、セミョーンに次のように言います。

 「旦那の後ろに、私の仲間のひとり、死の天使の姿を認めました。わたしのほかにはだれも、この天使を見たものはありませんが、私は彼を知っていたので、今日の日の沈まないうちに、この金持ちの魂が召されるだろうということを知ったのです。そこで、わたしは考えました。―《このひとは1年さきのことまで用意しているが、この夕方までも生きていられないことは知らないのだ》そして、神さまの第2のお言葉、―『人間に与えられていないものはなんであるか知るだろう』とおっしゃったお言葉を思い出しました。
 「人間には、自分の肉体のためになくてならぬものを知ることが、与えられていないのです」

 日々生きていることは簡単な気もするが、実は私たちは自分に何が必要か知らないで毎日を生きているということなのだろう。
 しかし、神さまに与えられている生と死を意識して生活すると、本当に大切なものが見えるような気がする。
 叔父には、「これから先も毎日、毎週、毎月とイベントがあるから、休んでいる暇がないよ」と伝えた。
 3月からずっと続いている周りの人の生死に関わる出来事は、今を大事に生きることの大切さをunizouに考えさせてくれている。