復興予算、基金化し流用

 朝日新聞の昨日の朝刊に、東日本大震災の復興予算のうち約1.2兆円が公益法人自治体が管理する「基金」に配られ、被災地以外に使われているとの記事が掲載された。
 政府は、昨年、復興予算を被災地以外で使わないこととしたが、基金の使い道をチェックしていないため、このような事態になっているという。
 もう、呆れてものが言えないということは、このことだ。
 財政は赤字状態で、これから先、子どもたちにどうして自分たちの負債を引き継がないようにしようかと、心ある国民は胸を痛めているのに、行政は当事者意識をなくしている。
 自分のお金なら、1円たりとも無駄にしないようにするだろうに、人の意識は他人の財布には無頓着なのだと改めて認識する。
 しかし、実際は、財政は人の財布ではなく、いずれ自分に災いをもたらすかもしれない、自分の財布なのである。
 だから、もっと、真剣にこのような問題に目を向けるべきだし、このようなことが起きる根本原因が何なのか、予算の在り方を見直していくことが必要なのだと思う。
 国・地方公共団体の予算は、1年の使い切りだと聞いている。
 だから、使わないと、次の年の予算が減らされることを、国・地方公共団体の会計担当者や実施部署は恐れていると言う。
 一般的には、民間企業は、経費を使わないことが、利益をあげることに繋がり、褒められることになる。
 一方、国や地方公共団体は、予算を潤沢に持って、毎年使い切ることが担当者が褒められることに繋がるのだから、真反対のことを行っている。
 国や地方公共団体も、一般企業と同じように、質のいい事業をお金をかけずにやった人を褒めるようなシステムを作ることが大事なのだと思う。
 お金の問題は、小手先で一時的な対処療法でなく、根本から解決しないと、きっと良くならないと思うのでる。
 地方財政の話ではないが、以前、ある地方公共団体の幹部に会ったときに、公務員削減について次のようなことを言っていた。
 「人は減らせない。減らせば、何かあったときに対応できないし、一旦減らせば、増やすことはできない。だから、減らすことは絶対しない」
 このような考えになってしまうのは、住民の側にも本当は問題がある。
 行政と住民の双方が適度な緊張感を保ちながら、是々非々で物事に対処していく姿勢があれば、本当は無駄な予算を使うことも、無駄な人員を配置することも、本当は必要ないのだ。
 今回の記事で、国の将来のため、根本から問題を解決してもらいたいと、そう思った次第である。