国家と市民の自由と自立

 国がない方が良いと思っている無政府主義者の人たちも、一人では生きてはいけないし、国や地方が行っている行政がなければ豊かな暮らしはできない。
 行政に問題がないわけではないが、行政が無くてやっている現実などあり得ない。
 しかし、行政が行政内部の人のために機能することが無いように、市民がきちんと監視をすることは必要なことで、本当に大事なことだ。
 国家がきちんと機能し、市民が自由を享受し、自立して生きることは、市民一人一人に求められていることだとunizouはそう思っている。
 そう思っているunizouにとって、次のようなこれってどうなんだろうと思うことが最近話題になり、マスコミの一部かもしれないが、裁判員制度の見直しが必要という論調の報道をしていたのが気になった。

 強盗殺人罪などに問われた被告に死刑判決を言い渡した裁判で裁判員を務めた女性が7日、公判に提出された証拠によりショックを受け急性ストレス障害と診断されたとして、国に慰謝料など200万円の賠償を求めて仙台地裁に提訴した。
 朝日新聞デジタル
 http://www.asahi.com/national/update/0507/TKY201305070075.html

 この訴えた女性は、なぜ、最初に裁判員を断らなかったのだろうか。
 私たちがこの国で生きるということは、市民一人一人が様々な責任を分担することだと思う。
 そして、裁判員制度は、大変なことではあるが、そういったことの一つの表れでもあると思う。
 もし、彼女が、裁判員の責任を全うすることが難しいと感じたのであれば、先に断ることが大事なのだと思う。そうでないと、裁判員になった多くの人たちが、そういった重い責任や困難な裁判の中に身を投じ、責任を果たすことが大事だと認識して役目を果たし、その結果として、人を裁くという裁判がいかに難しいことであり、しかしながら、市民として生きる上で、そういったことを経験することによって、法治国家としての在り方をそれぞれが考えなければいけない立場に置かれざるを得なくなることで、より良い市民になれることにもなる機会になってとるだろうと考えるからである。
 最近、彼女のような人が多い気がしてならない。
 何でも国の責任にしてしまうような人たちである。
 しかし、我々市民が支えて国は成り立っている。
 江戸時代以前のような政府ではないし、もちろん近代の明治、大正時代とも違い、国はあるが、市民に自由と自立が求められている時代なのである。
 国と市民の間に適切な距離感がなければ、きちんとした国家とは言えない。
 彼女のようなこともそうだが、国と市民の間の適切な距離感について考えさせられることが多い世の中だと、最近そう思っている。