中小企業診断士試験

 何年も診断士試験を受け続けているが、まだまだ努力が足りないので受からない。
 これは、unizouにとって真実である。
 実際、粉骨砕身、日夜を問わず努力している同じように診断士を目指している人たちと自分を比べたら、受かること自体が奇跡に近いかもしれない、。
 しかし、自分なりに受かりたいと思っていて、日々の生活の中でできる限り努力しているし、診断士を目指していること自体が楽しいので、受からないこと自体は、そんなに気落ちするほどでもない。
 昨日、「般若心経 人生を強く生きる101のヒント」著作 公方俊良 三笠書房知的生き方文庫を紹介したので、その中から、今回のテーマに沿った話を紹介しよう。
 P32 「失敗もできる人生」
 泰龍文彙(1827年1880年)というお坊さんの話し。
 明治維新直後、新しい宗制が制定され、禅の指導に当たる者は、教導職の試験を受け、資格を得なければならなくなった。やむなく泰龍も2人の弟子を連れて試験を受けに行った。試験は前三日間ほど講習があり、その中から最終日に口頭試験が行われるというものだった。
 泰龍は学問など全くの苦手で、弟子は受かったのに、泰龍は合格できなった。
 しかし、泰龍を知っている、禅宗総管長・荻野独園のはからいで、最下位の権訓導という資格が与えられた。

 泰龍は一向に気にする風でなく、意気揚々と帰ってきました。出迎えた弟子たちが、おそらく泰龍師匠は最高位の大教正に合格したものと思い、「大教正でございましたか」と尋ねると、泰龍はすまして、「権訓導だったよ」と答えました。さらに、宗門の将来を嘆いて言いました。「総管長の独園も、天竜寺派管長の滴水も、もっとしっかりしてくれなくては困る」・・・一同は、あいた口がふさがらなかったといいます。
 泰龍のように、自らのしっかりした人生観を持ち、自らの意思に生きようとすれば、世間の価値や尺度で評価され振り回されることはないのです。世間でいう“失敗”が、泰龍にとっては、“失敗もできる人生”と喜んで受け止めることができるのです。
(中略)
 思い通りにいく人生ではなく、失敗や不幸の連続の中で、ああもできぬか、こうはどうかと知恵を働かせ、精一杯生きる人生にこそ、本当の幸せがあるのです。

 unizouは、長いこと診断士の資格取得のために勉強してきたお陰で、試験で発揮することはできなかったかもしれないが、様々な知恵を得た。それらは、unizouが社会に生き、少しでも役に立つことができるベースになっている。
 試験に受かって、診断士として自らの生活の糧を得て、社会に貢献することも大事なことかもしれないが、毎日、毎日の積み重ねは、人としての成長に必ず役に立っていると、自分では確信している。