部下への厳しさ
仕事について、上司からおほめの言葉をいただくことも多いが、部下に対する対応については上司から「厳しすぎないかね?」と言われることもある。
「厳しく接する」と自分としては理解しながらやっているので、そう思われるのは当然なことなのだが、本心は、部下からそんなに悪く思われたくないのも事実である。
だが、そういかないことが多く、心を鬼にして接しているのだ。
自分が若手だった頃は、自分に甘えていた部分が多かったように思う。
いつからか結果を出してこその仕事であり、それもスピード感が非常に大事だと思うようになった。
日常的な業務ををさりげなくやりながら、人がなかなか苦労するようなプロジェクトや仕事をやるほうが面白かった。
そんなことを繰り返しながら、それなりの実績も上げた。そして、自分も成長した。
後輩たちは、どうか。
彼らは、与えられたことを与えられた枠の中でしか考えないような気がしてならない。
難しい課題であれば、できなくて当たり前と考え、解決するための手段は考えない。
そして、課題を終えるまでの時間は、マイペース。
「全然できそうもないことを目標に置け」ということではない。
少しずつ、ハードルを上げて行き、自分の成長を楽しむことが大事なのだと思っている。
本当は、自らそうしたハードルを持っている後輩なら何も言わなくて済む。
しかし、実際はそうではない。
だから、心を鬼にして、厳しく接するのだ。
仕事ができないこと、結果が出ないこと、そういったことに文句を言うつもりはない。
成長しようという気持、社会、会社、周りの誰かに貢献しようという気持を持たずに、漫然と仕事をしていることに厳しく接しているのだ。
そういえば、つい最近、フジテレビの報道20001で取り上げられた福岡女子大学准教授和栗百恵さんも、「成功体験が大事といわれ真髄の所で褒めることは大事だが、今の子どもは大したことないことまでも褒められる。失敗体験こそが大事。『欲しい結果』と『解決のための問い』の両方を自分で考える場(体験)が必要」と言っていた。
そうして、生徒たちは、失敗を重ねながら成長して、自分の目的に向かって行動していくようになる。柔な生徒たちも逞しくなる。
厳しさは、真の愛情だと自分は納得して部下と接しているが、部下はどうだろう。
和栗百恵准教授が言うように、「欲しい結果」と「解決のための問い」を繰り返してこそ、真の成長ができるはずだ。
自分を律し、自分に負荷をかけ、その負荷を楽しむくらいになって欲しいと切に願うばかりである。