昼行燈

 長年にわたり、たくさんの部下職員と仕事をしてきたunizouが、本当になりたい上司は、昼(平時)は目立たず、夜は煌々と闇夜を照らす「行燈」のような存在の上司である。
 余談になるが、忠臣蔵大石内蔵助も「昼行燈」と呼ばれ、平時は凡庸な家老だったが、殿の遺恨を晴らす段になって、煌々と闇夜を照らす行燈のように皆をまとめ目的を達成した。
 unizouも、そうなりたいと、常々思っているのだが、実際は、一言多くて、頑固と思われているので、「昼行燈」のような存在とは対極にあるかもしれない。
 しかしである。unizouにも言い分がある。
 好きで「一言多く、頑固」と思われるようなことをしているわけではないのである。
 いろいろな部下を見てきて思うことがある。
 これは、企業経営理論の組織論にも関わりがあるかもしれない。

 実は、unizouは、若かりし頃、本当に不器用で要領が悪くて、できる「先輩」や「同僚」を羨ましく思っていた。できない自分に何ができるかを考え、仕事を楽しみながら毎日を送ってきた。また、仕事の内容が変わる異動を経験しても、どんな仕事であれ、経験豊富なプロパーの人がいても臆することなく、自分の頭で考え、自分の考えを伝え、できる限りのことをやってきた。
 偉くなるとか、たくさんの給料をもらえるかを一番に考えるのでなく、目の前にある仕事をやり遂げることに全力を傾けた。
 その甲斐あってか、たくさんの出会いを経験し、たくさんのことを教えられ、いいことばかりの毎日だったわけではないが、悩みながらも自分が成長できたと実感している。
 また、不器用ながらも、それなりの結果を残したと思っている。

 さて、今まで一緒にした部下職員はどうだったろう。
 器用になんでもこなし、そつのない部下もいた。
 不器用ながら、一生懸命取り組んでいる部下もいた。
 しかし、器用でも、不器用でも、そこそこのことしか取り組まない部下がいかに多いことか。
 時間があっても、準備不足。やっているようで、何も本質に迫っていない。
 彼らには何が足りないのか。
 くだらないことかもしれないが、簡単なこと。
 興味を持って、真摯に続けることなのだ。仕事が、自分を成長させてくれるものだという認識を持って取り組めば、面白さがわかってくる。
 これは、どんな仕事でも実は一緒である。
 芸術家でも、野球選手でも、どんな特別な職業でも、である。
 そうやって個々が、そういう気持で仕事をしてくれれば、unizouは、昼行燈になれるのにと、今までも思っていたが、悲しいことにこれからもきっとその思いは続くだろうと思っている。