個人保証 原則認めず

 2月18日の読売新聞夕刊3版2面に、「個人保証 原則認めず 法制審試案 民法改正15年にも」という記事が掲載された。
 今月末にまとめられる民法改正の中間試案の概要が発表され、銀行や貸金業が融資の際に求めてきた個人保証を原則として認めないことなどを盛り込んでいるという。
 個人保証については、以前から、銀行の真の融資審査にとって弊害だと訴え続けてきた。
 記事では、「個人保証は、中小企業などが融資を受ける際に、企業が返済できない場合は経営者や親類、知人が保証人になる制度で、保証人が債務者と同様に無条件で返済を求められる「連帯保証」となるケースが多い。このため、企業経営と直接関係のない個人が自己破産に追い込まれることなどが社会問題となっていた」というように、保証人になった人の救済の面を強調していた。
 しかし、unizouは、代表者の資質、決算書の内容や事業の将来性など、難しい内容を慎重に審理して融資すべきなのに、安易な融資になりがちな金融機関の姿勢を正すために必要なものだと感じていた。
 以前、ある事業者と面談していた時、面白い話を聞いた。
 その事業者は、金融機関から債務をサービサーにすでに譲渡されていた。
 到底返済できるような金額ではなかったので、unizouが、「できる限り早く債務免除を受けて、しっかりした方向性を持って、事業を再建した方がいいですよ」と言った。
 その事業者は、「以前頼んだことがあるのだが、サービサーの人は、『預金者から預かっているお金なので、そんなに簡単にできませんよ』と言われた」という。そして、その後も、いつまでも先延ばしになっていたそうである。
 unizouは、「預金者から預かったお金」と言うなら、融資する時にも、しっかり審査すればよかったではないかと憤った覚えがある。
 金融機関は、公的融資で再生されながら、実際は、今でも不良債権をいつまでも処理せずにいる。
 融資を受けやすくするために公定歩合を低くしているが、金利が安いことは、金融機関だけのメリットでしかなく、金融機関の莫大な利益の源泉になっている。
 それから、未だに金融機関の数も多すぎるのではないか。
 ずいぶん前に読んだ本だが、「企業再生屋が書いた 借りた金は返すな!」(出版社 アスキーコミュニケーション)と言う本には、次のようなくだりがあった。

企業再生屋が書いた借りたカネは返すな!

企業再生屋が書いた借りたカネは返すな!

 15年にわたってカリフォルニアで不動産事業をやってきた関係上、あちらの銀行を詳しく知っているが、日本の銀行のていたらくといったら、お話にもならない。
 庶民には金を貸さないわ、不動産下落のリスクはとらないわ、弱みにつけ込んで過剰担保はとるは、いざ返せないとなると、「連帯保証人」というもっともらしい手で、拉致済みの関係者から金を強奪する。
 なんのことはない、合法的な「人質商法」だろう。
これに引き換え、アメリカの銀行は違う。不動産下落のリスクは金融機関がちゃんと負い、その上「連帯保証人」という人質もとらない。

 話がそれてしまったが、個人保証制度の廃止は、金融機関が世の中の公平な経済を引っ張っていく羅針盤になる契機になる。
 金融機関がしっかりすれば、いい加減な中小企業が淘汰され、事業はもちろん会計面や財務面もしっかりした中小企業が残るはずだ。
 そうなれば、経済は活気づくと信じている。