これからの人生

 若かりし頃、何も考えずに今の仕事をし始めたunizouだが、これまでの仕事の結果と様々な問題に逃げずに取り組んできた自分の姿勢は、自分なりに満足している。
 とはいえ、自分の持っているものを活かしきっているのか、人さまの役に立っているのかを考えると、甚だ心もとない。

 人生の行く先を、今、大きく変えるには遅すぎる感があるし、変えたとしても、誰の役にも立たず、自分の生活さえ守ることもできないのではないかと不安がある。

 そして、unizouと同じように考えているような人が、多かれ少なかれ世の中にはいるような気がする。


 これからの人生をどう生きるかは、unizouとって喫緊の課題である。
 そんなことを毎日の生活の中で、ふと思い出しては考え、また忘れては思い出し、そして考えるという生活を繰り返している。


 しかし、最近、相当な体力を必要とするもの以外は、何だかできるような気にさせることを知った。


 それは、先日、101歳で亡くなった詩人柴田トヨさんのことを知ったからだ。
 柴田 トヨ(しばた とよ)さんは、1911年(明治44年)6月26日 - 2013年(平成25年)1月20日)生まれの日本の詩人。栃木県栃木市出身。
 詩作を90歳代になってから始め、2010年に発表した詩集「くじけないで」が、2012年(平成24年)8月の時点で、160万部を記録するほど人気の人である。


 トヨさんは、「多くの人たちの愛情に支えられて今の自分がある」と述べ、希望を失っていた自分が今では読者に希望を与えていることから、自身の作品を世界の人々にも読んでほしいと希望していたという。


 トヨさんと同じ101歳まで生きるとすると、折り返し地点は50歳。
 そんなに生きないとしても、要は、平均寿命まで生きるとして、おぎゃあと生まれてから成人するまでの長く感じる年数と同じくらいは、自分の自由になる時間が使えそうだ。


 つまり、ある時思いたったら、0歳でも、10歳でも、20歳でもいいから、その年齢になったつもりで何かを始めればいいような気がする。
 

 そうすれば、違った人生を二度でも、三度でも歩むことができ、もう食べるところがないと言うほど料理の素材にされた魚のように、生かし切れていない体を絞り切って世の中の人のお役に立てるのではないかと、そう思い始めている。
あるいは、トヨさんのように文学に目覚め、芥川賞でも狙いましょうか・・・。
50代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)