松坂桃李
「松坂桃李」クン。
昨年、梅ちゃん先生でブレークし、その後映画などに引っ張りだこの人気の俳優だ。
uniuzouも映画「麒麟の翼(劇場版〜新参者)」や「つなぐ」を見て、好感を抱き、今後を期待している俳優である。
桃李クンは、昨年末、映画「つなぐ」の宣伝のため、多くのメディアに出ていた。
彼は、子ども時代、「桃李」という名前が嫌いだったそうだ。
「桃」という字が女の子の名前のようで、からかわれていた時期もあったらしい。
「桃李(とおり)」という名前は、確かに珍しい。
unizouも、一体どういう意味なのか、常々疑問に思っていた。
番組の中で、その由来を彼が話していたが、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書『史記』(しき)にある「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」から名付けられたという。
「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」とは、桃や李(スモモ)は言葉を発することはないが、美しい花と美味しい実の魅力にひかれて人々が集まり、その下に自然と道ができることから、徳ある者の下には何ら特別なことをせずとも自然と人々が集まって服するということだという。
Wikipediaには、この名づけの由来は、父の願いからであり、また、一方で中国の故事「桜梅桃李」からの名付けの由来があり、こちらは、母の願いからだとある。
「桜梅桃李」は、日蓮が「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見す」と述べたことから、「いずれも独自の美しい花を咲かせることから、桜は桜の、梅は梅の、桃は桃の、李は李の特徴を改めることなく、生かしていく」という意味だという。
こういったことを知り、桃李クンのご両親の教養の深さと子に対する適度な期待感を知り、尊敬の念を抱いた。
人は、誰もが、背伸びをして、自分らしくない行動で人気取りをしがちである。
それは、こどもでも、おとなでも、偉いポストについていようが、そうでなかろうが、そうなりがちである。
自分のありのままを認め、愛し、自然の振る舞いの中で、生きていくことのいかに難しいことか。誰もが、自分を殺して、一時の人気取りに汲々としている。
また、自分だけでなく、親や子、そして周りの人に過度な期待を求めていくことがいかに多いことか。
子どもに好き勝手な名前を付けて喜んだり、過度な期待をしすぎて子どもを追いやったりする、そういう親がいかに多いことか。
そういったことと対照的な「桃李」クンのご両親の、愛情の深さ、思慮深さ、そして、子どもの尊厳を認めた教育の在り方に、unziouは感心し、そして、わが身を反省するばかりである。