怒るべき時に怒らない社会

 しばらく前になるが、ある時期いろいろな殺人事件や暴力事件が起こり、犯人が「切れた」とか「むかついた」と言っていたために、その言葉が良くないと盛んに言われていた。
 unizouも簡単に「切れる」とか「むかつく」ことが良くないことは、理解できる。


 一方で、怒るべき時に怒らない社会も、どうかと思う。
 誰もが、「触らぬ神にたたりなし」「事なかれ主義」というのか、簡単に怒らないことを「良し」としてために、社会が「悪い」方向に進んでいるのではないかと・・・。


 よく言われるのが、悪いことをしている子どもたちに対する周囲の人間の対応。

 友人Kの妻は、かなりのもの言いで、Kはいつも戦々恐々としているらしい。
 正しいと思ったことは、ずけずけ言うので、同じ失敗を繰り返すKは日常的に叱られることが多いらしい。
 そして、Kの妻は、家と同じように、外でもずけずけものをいうらしい。

 ある時、公務員Kの妻が買い物から帰る途中のこと。
 学校帰りの小学生の女の子たちが、一人の小学生の女の子の周りで何かかまっていた。いじめといえるかどうかは何とも言えないが、その女の子はしゃがみこんで泣いていたという。
 それを見たKの妻は、「あんたたち何やってんのよ!泣かすんじゃないのよ!私、あなたたちの顔覚えておくからね。今度やったら承知しないよ!」と、一喝し、泣いている女の子を「大丈夫!大丈夫!」と言って立たせて帰したそうだ。
 周りを囲んでいた女の子たちは、びっくりして、雲散霧消したという。


 unizouが良く見る「怒らない社会」の典型的な光景は、上司に楯つかない部下である。
 これも、誤解しないでもらいたいが、なんでも楯つけばいいと言っているわけではない。
 また、「怒鳴る」「暴力をふるう」という意味でも決してない。


 上司だってすべてが正しいわけではない。
 自分の意見を言うことも大事である。昔は、鵜呑みにしたりせずに、自分なりに考えたことは伝えたはずだ。
 最近は、おとなしい人が多くなった。
 無表情・無関心のようで、上司の言うことは「絶対的な感じ」と言える。
 本当は「気骨」のある人が、組織を正しい道へ導く。


 組織対組織でも、同様だと思う。
 ある時、Kはこんなことも言っていた。
 「最近は、個人情報保護法のせいで、公務を執行するための調査の際に、『個人情報保護法がありますので、今すぐは対応できません。書面でお願いします。コンプアライアンスを守る必要があります』」というように言われることが多くなった」と言っていた。
 Kの公務の執行は、社会秩序を守るために緊急性や重要性があることが多いというが、一体、これで、社会秩序を保つことができるのだろうか。権力の濫用はよくないが、そういったことは、「天に唾する」行為で、自分たちが、社会的な活動でも経済的な活動でも、不公平で不平等な社会を作る要因になっていくのではないか。


 Kは、そう言われると、家でKの妻にさんざいろいろとモノを言われているせいか、外に出ると、しっかり、「私たちは公務として必要なことで、法律の条文に明文化されていますので、ご協力をお願いしています。迅速な協力をお願いします」と、こめかみをひくひくさせながら、低い声で告げるそうだ。結果は、態度がガラッと変わって、応じることが多いそうだ。