往生際

 以前から、それも相当前から感じていたことだけど、事件や事故、政治家の不祥事や会社の不祥事などを見ると、当事者の「往生際」の悪さが目につくことが本当に多い。
 日本人って、こんなに往生際が悪かったっけ・・・。
 「潔さ」が、日本人の美徳ではなかったの!?


 昔は、「往生際」が悪ければ、「恥」とされ、たとえ悪いことをして罪に問われようと「潔さ」があれば、それはそれで救われていたと聞いていたし、実際にそうだったような気がする。

 しかし、今はどうか。

 例えば、最近のホットな話題なら、鳩山元総理大臣の行動。
 個人としての行動であれば、「やりたいことは、すべて許される」と言ってしまえば、それまでかもしれないが、未だに過去の栄光にすがりついて、自分をひけらかしているとしか言えないような行動をとっている。
 これなど、自分がどういう立場で総理大臣という職を辞し、衆議院議員に立候補できなかったのか、実際のことを何も理解していない、「往生際」の悪さの典型だと思う。


 企業では、企業経営理論の「経営戦略」の中で習う「撤退」が重要視されている
 「撤退」も、「往生際」の悪さがあってはだめ、ということだとunizouは理解している。
 しっかり、経営体質・内容を見つめて、「潔く」諦めることが、再起への近道なのである。
 
 

 資金繰りが悪くなり、経営状態が悪くなると親族や友人にお金を借りて何とか生き残ろうとする「潔くない」企業をたくさん見てきたunziouが、「これ然り」というような「往生際」の悪さについて説明している本に遭遇した。
 それは、日経ビジネスアソシエの2011年1月18日・2月1日合併号付録「1年間で52の課題に挑む」で紹介された「強く生きるために読む古典」(岡敦著:集英社新書)という本である。
 その本では、ドストエフスキーの「悪霊」を紹介している。
 強く生きるために読む古典 (集英社新書)

 「悪霊」とは一体何だろう?
 『悪霊』の登場人物たちは、ぼくら同様、『自分の生に意味を与える文脈』を見失っている。彼らは文脈が見えないまま、何とかして自分の生を肯定しようとしてあがく。
 無駄だ。効果はない。
 それでもあがく。あがき続ける。悪あがきをする。
 この「悪あがき」こそが、「悪霊」である。

  
 平成24年度版中小企業背作利用ガイドブックには、「再チャレンジする方を応援します」「再チャレンジするために必要な資金の保証を受けたい」など再生支援の施策がたくさん掲載されている。
 親族や友人をアリ地獄の底まで付き合わせるようなことはせず、「悪あがき」をせず、往生際が悪くなく、潔く、人生を歩むことが、人生をリセットできて、再起への近道なのだと思うのだが・・・。