お役所の掟

 読売新聞1/5(土)の朝刊「NIPPON 蘇れ 頭脳3 プロ軽視の大衆社会」の中に、次のくだりがあった。

この「政治ショー」は、官僚たたきに拍車をかけた。
 時に月300時間の残業という激務もいとわず国家の行政を支えている若手官僚たちは今、「誰にも評価されない」と精神的に追いつめられている。

 
 びっくりする記事である。
 一体、unizouは、何をびっくりしたのか?

 unizouが、引っ掛かったのは、「月300時間という残業」である。
 300時間を月30日で割ると、1日10時間。通常の勤務が、7時間45分なので、1日の勤務時間は、17時間45分となる。
 1日は24時間なので、残りの時間は6時間15分。5時間寝るだけの生活を続けても、自由になる時間は1時間15分。
 こんな生活、1日〜2日、やって1週間ならできるかもしれないが、普通はできるはずない。
 真剣に仕事をしていたら、いくら優秀な人だってまともに労働する時間には限度がある。
 集中力も落ちるし、健康にももちろん良くないし、長続きはしない。それに、平成18年の労働安全衛生法の改正では、月100時間超の時間外・休日労働をした場合は、申し出により医師による面接指導を受けさせなければならない。
 労働安全衛生法の趣旨からして、こんな生活をさせること自体問題があるはず。「月300時間という残業」など、威張れることではないはずだ。

 もし、こんな生活をしている役人に国の仕事を任せているのなら、その方が怖い。


 1993年(平成5年)、その当時厚生省検疫課長だった宮本政於さんという方が、講談社から「お役所の掟」という本を出版した。
 お役所の掟―ぶっとび霞が関事情 (講談社プラスアルファ文庫)
 当時、官僚の仕事に興味があったので、買って読んだ本である。
 改めて手にしてみると、当時の帯には、(「お役所仕事の旧弊を直撃、<役人天国>震撼のベストセラー!!多数のマスコミで話題集中」)とある。
 そして、もう一度パラパラとめくって、内容を確認した。

第1章 「官僚たるものの心得」入門
「国会絶対の行動様式」

 「君は本当にいい時期に役所に入った。精神衛生法の改正に当たる機会を得ることは幸運だ。役人にとって法律改正作業は一番栄誉なことなんだよ」
 1986年(昭和61年)にアメリカ帰りで厚生省に途中入省し、保険医療局精神保健課の課長補佐として仕事をはじめた私のことを、当時の上司はこう言って歓迎してくれた。
 しかし、このコメントは私にはもうひとつしっくりこなかった。私は「行政」をやりたくて厚生省に入ったのであって、法律を作りたくて厚生省に入ったのではない。これは日本の行政と立法の関係を理解していなかったためだが、米国の流儀を見てきた私には、
「法案作成は立法府の仕事のはずなのに、なぜ役人が・・・・・・」
と思えたのだ。しかし、なにごとも勉強と思い、法案作成にも全力投球をしたつもりだった。
 まず、気がついたことは、役人は国会の対応に信じられないくらいの重点を置くことだった。
(中略)
 「国会絶対」の行動様式は、役人のすみずみまで行きわたっている。毎日の生活は国会にふりまわされているといってよい。
 国会の閉会中は、翌日質問に立つ議員先生が何を聞くかがわかるまで全員足止めをくらう。これを「国会待機」といい、官房総務課が待機をかけるのだが、担当の課長補佐が小心だったりすると、必要以上に多くの関係課が「サービス残業」をさせられる。
 だから、中央官庁では「国会待機」への対応として、午後6時を過ぎると課の応接室が一転して居酒屋となる。みんな「早く待機が解除にならないか」と期待しながら、ビールを飲みつつ上司のグチを左の耳から右の耳へと流し、たいしておもしろくもないテレビを見、のびきったラーメンをすすって時間をつぶす。


 今では、役人に対する厳しい視線から、応接室が居酒屋になることはないだろうが、きっと、「国会待機」は今でも続いているのだろうと思う。


 以前、中央官僚の友人に聞いた話だが、政権をとる前の民主党長妻昭さんの国会質問のある前日は、公務員宿舎の関係で、どこの省庁の末端組織までも資料作成のため、「国会待機」と「資料作成」に追われて大変だったそうだ。


 官僚と政治家の役割分担は、自ら違う。
 選挙によって選ばれた議員は、民意を得た政策により法律を作り、その結果について必ず国民の審判を受ける。
 官僚が法律作りなどするから、国会議員には必要以上にぺこぺこするのに、偉くもないのに、省内や国民に偉ぶる役人が増えるのだ。


 政策に基づく法は、国民の負託を受けた政治家が自分のブレーンやシンクタンクを使って作れば良いことで、官僚は、その執行を、法の求める以上でも、それ以下でもない、味気ないほど厳正・的確に執行すべきなのだと思う。
 また、行政の執行の過程で得られた情報を、個人情報を保護しつつ、国会議員だけでなく、国民にも開示し、国会議員や国民が様々なことについて適切な判断ができるような材料を適時・適切に提供していくことが大事だと思う。


 もし、「お役所の掟」が出版された当時と今と、政治家と官僚の役割があまり変わっていないのなら、経済同様に「失われた20年」の象徴だと思うが、いかがだろうか。