金融機関の役割

 ここ十数年、金融機関の役割って一体何だろうと思い続けてきた。
 不良債権処理が終わり、利益を出してグローバル化して、世界の金融機関とも競争できる体質になっているというが、本当にそうなのだろうかという気持である。
 金融機関に勤める友人が多いので、余りめったなことは言いたくないのだが、金融機関に関わった多くの人が、良い評価はしていないというのが事実である。
 金融機関に勤める個々の人間が悪いとか言っているつもりはないのだが、金融機関という組織の冷たさについて話す人が、実に多いのだ。


 確かに、unizouもそういう金融機関の冷たさを感じる光景を何度も見た。
 例えば、ある金融機関は、これは長野県内の金融機関だったが、長野オリンピック後の経済の冷え込みで、融資した資金の回収など到底困難な状況の中、不良債権処理をせず、売上の中から目一杯の回収をしていた。担当者は、そのような状況を「生かさず殺さず」と言っていたように記憶している。つまり、新規融資して再起を図らせることはできないが、融資はできる限り回収するということだと思う。あまりの非人間的な言い方に反吐がでそうだった。


 あるときは、「その昔は、1000万円融資して欲しいというと、3000万円持ってきて、『どうぞ使ってください』と言っていたのが、ある時期、突然『貸すことはできません。全額返済してください』と言ってきた。借りた自分も馬鹿だったが、貸した方もどうなの?」と言っていたビデオレンタルショップの経営者に会った。


 大手金融機関に行くと、「1階のフロアーに正社員は私一人だけです。あとは、パートか、派遣社員です」と言う。また、ある大手金融機関では、行員が、3時過ぎにもかかわらず、「まだ、昼食を食べていないんです」と言うことも。あまりの悲惨さに、行員が哀れになってくる。
 金融機関に行くと、融資や投資などの業務をしている人が花形で、預金などの業務をやっている人はどうでもいい人と言う感じなのかと受け取ってしまう。


 unizouは、中小企業が会計処理をきちんとせず、公私混同したり、お手盛り役員報酬をしたりしているのは、金融機関がきちんと中小企業に寄り添っていなかったせいだと思っている。良いときは、にこにこして必要以上のことをやり、悪いときは冷たく突き放す。こういったことをしているから、中小企業は金融機関に信頼を置いていないのだと。
 手間のかかることではあるが、金融機関に求められていることは、きちんとモノを言う仲で信頼関係を築く。もし、撤退をしなければならない時は、破産処理に手を貸す。破産処理は、人間で言えば、お葬式だ。お葬式きちんと挙げてあげれば、輪廻再生で、その中小企業等は新たにいのちを蘇らせることもできる。いつまでも幽霊みたいな中小企業や個人事業者が、世の中を徘徊しないようにすることが、公正で公平な資本主義社会であり、破綻した中小企業や個人事業者にとっての本当に必要なことだと思うのである。
 金融機関には、資本主義社会の番人の役割があるとunizouは思うのである。
 金融機関がきちんとしていない国は、一時の栄華に酔いしれ、多くの人が幸福を手に入れる持続可能な社会にはならないと思うのである。
 金融機関には、一時の栄華を自らも、そして顧客にも与えることでなく、どうしたら、多くの人が幸福な持続可能な社会を築く手助けをできるか、もう一度自らを省みていただきたい。人のお金で相撲を取っているのだから、決して自分のお金のような振る舞いをせず、いつも謙虚で公正無私な立場であって欲しいと願っている。