映画「HERO」と人間観察力

 昨日は、文章作成能力について書いた。
 今日は、人間観察力について書きたいと思う。
 8月の有給休暇中に再放送で見て以来、どっぷり嵌ってしまったテレビドラマ「HERO」。そして、映画もしっかり見た。テレビドラマも、映画も、たくさんの気になるせりふがあって、何度でも見たくなるテレビドラマ「HERO」と映画「HERO」。
 映画「HERO」のホームページの人物紹介では、木村拓哉さん演じる主人公久利生公平について、こう書いてある。

 エリート検事とは違う独特の視点や人間観察眼を持つ。検事は、常に加害者に対し“罪の重さと被害者の悲しみ”に気づかせるべきということを信念に、事件の真相を解き明かしていく。

 unizouは、この人間観察(眼)力が、生きる上でとっても大切なことだと思っている。
 そして、この人間観察力(眼)を身につけるには、そんな簡単なことじゃないとも・・・。
 テレビドラマの第一話では、下着泥棒事件と収賄事件が重なる。下着泥棒事件を追う主人公久利生公平は、どうも容疑者を犯人と思えないので、松たか子演じる検察事務官雨宮舞子には「こんな小さな事件で捜査権を使うなんて・・・」と言われつつ、自分の目で現場を確認していく。
 そんな中、収賄容疑で捕まった代議士のアリバイ工作として使われたクルーザーに、久利生公平が雨宮舞子を何も知らせずに連れて行って二人の船上でのシーン。
 久利生公平が雨宮舞子に語りかける。

「ちょこっと上がっただけで海の見え方、全然違うもんな。でも、見えないもんもあんだろうな〜。ほら堤防の向こう側もそうじゃん。海ん中だってそうだしさ。今こうやって見えてるものよりね。見えないものの方が多いんだよきっと。パンツ盗んじゃう男の気持ちとかさ。エロビデオ見ちゃう男の気持ちもそうだし、通販に嵌っちゃう女の子の気持ちもね。ちゃんとそこまで行かないと見えてこないんだろうな、きっと。」

 人はコミュニケーションをとっていれば、理解し合えると思っている節もあるが、実際は、本当に人を理解するのはそう簡単なことじゃない。
 理解しようとする努力が必要なのだ。そして、それこそが人間観察力なのだ。
 久利生公平はエリートでもなく、きっといろいろな意味で青年期に辛酸をなめて過ごしてきたのだろうと思う。
 その辛酸をなめた中で、やさしさや強さを身につけてきたのだろうと思う。
 曽野綾子さんの著書「『いい人』をやめると楽になる」祥伝社黄金文庫P222には、次のような一節がある。

 一人の人、一つの事件の背後に、膨大で広大で屈折した人間的な理由があることを、理解することができる人になることは、じつに大切なことのように思う。
 そのためには、表向きは常識を守りつつ、常識という名の下に行なわれる思考放棄と決然と抵抗して、すべてのことを根本から疑い、自分の視点で判断することを習慣付けねばならない。

 つまり、人間は本当に奥深い生き物で、ただ単純に善悪だけで判断できるような代物ではないということなのだろう。久利生公平は、人間の奥深さに気づき、人間観察眼を自然と身につけ、思考を放棄するようなこともなく、ただ真実を知ろうとしているのだと言える。
 私たちは、善悪の判断、それも常識的な判断から、物事を見がちであるが、もっと真実を知るために人間観察力を身につけることが大切なことだと日々そう感じている。