プーチン大統領

 ロシアのプーチン大統領の人気が高く、来月初めに行われる下院選は一党独裁に近い状況になり、また大統領の任期延長もあるだろうと数日前の読売新聞で特集されていた。
 この件、以前から、プーチン大統領の下でのロシアを危険視していたunizouにとって、由々しき問題だと感じている。
 日本とロシアは、経済的にも強い結びつきを持つようになってきているが、「このまま経済重視で結びつきを強めていっていいものだろうか?」という気持ちが強い。
 ゴルバチョフエリツィン大統領時代、民主化路線へと大きく変貌しようとしたあれほどのエネルギーがあったのに、どうしてそれが失われていってしまったのだろうか。
 やはり経済的に食べていけないということのほうが、人間にとっては大事なのだろうか。体制などどうでもいいことなのだろうか。
 人を人相で判断してはいけないが、ニュースを見るたび決して心から笑っていないようなプーチン大統領を見ていると、手段を選ばない冷徹で無慈悲な人そのものに思えて仕方がない。
 外交を見ても、旧ソ連時代のような内容で国連での拒否権を発動しているケースも多い。
 中小企業診断士の仕事について言えば、「世界をフィールド」というような時代だと山北浩史中小企業診断士のブログでも書かれていて、実際ロシアとのつながりのある仕事もあるようだ。
 しかし、今のような体制でいるロシアと真の友人・隣人としてお付き合いすることが、本当にロシアの人のためになるのであろうか?
 今日のニュースでも、「ロシアのプーチン政権を批判する反政権派の連合組織「もう一つのロシア」が24日、モスクワ中心部でデモを行い、チェスの元世界王者ガリカスパロフ氏ら10人以上が警察に拘束された。」ということだった。
 今年の4月にも、「「もう一つのロシア」は4月にもモスクワなど主要都市でデモを実施。その際にもカスパロフ氏をはじめ約250人が一時拘束され、治安当局の実力行使で多数の負傷者が出たため、プーチン政権は欧米から厳しい非難を浴びた。」ということだった。
 何かを守って生きるということは、本当に難しいことなのかもしれない。たくさんのお金を持って経済的にも自立していたいというような思いがあると、そのために何でも受け入れ、何でもやらざるを得ない状況になる。
 結局、国のあり方もそうだし、個人個人のあり方もそうだ。
 こういうことを考えるときに、いつも思い出すのが、伊丹十三監督が「マルボーの女」のパンフレットに書いていた言葉である。

 人は誰でもやくざを恐れる。やくざの前では、目を伏せて、かかわりあいにならぬようにして生きている。やくざの前では人々は誇りを踏みにじられ、屈辱に耐えている。私がやくざを許せないのはそこなのです。やくざが人々を恐怖で支配し、それによって意思決定の自由を奪い、人々に屈辱の人生を強いることなのです。

 これは、“やくざ”が“国”に変わっても同じこと。
 もう自分の意思さえ持てないような世界など、着られなくても、食べられなくても、住めなくとも、拒否すべきだと思うが・・・。
 実際は、そうできるかどうか自信があるわけではないが、そうあるべきと思っている。