スーパーマン

 「いつ、寝てるんですか?」
 「ちゃんと寝てるよ」
 「朝も一番に来て、帰りも一番遅く帰って・・・。いつも、会社の施錠記録にunizouさんの名前が載ってるから、総括グループでもっぱらのうわさですよ。スーパーマンだって・・・」
 「やめてよ。そんなこと噂するの」
 話しかけてきたのは総括グループのS君。
 もう、10数年前に一緒のチームで仕事をした仲。
 まだ、その当時若かった彼も、中堅社員。10数年ぶりに一緒の部になった彼から、最近、会えばもっぱらそんなことでかまわれている。
 unizou、確かにここのところ、そんな生活を続けている。
 しかし、本人は一向にそれが苦にならない。
 今、チームのリーダーとして、チームのメンバーの仕事のお膳立て、相談、サポートに忙しい。
 そして、そういった仕事をやっていることで、自分が生かされている気がするのだ。
 チームのメンバーは、いつもこういう。
 「unizouリーダー、ありがとうございます。助かりました」
 しかし、実際に助かっているのはunizouの方。
 こんなとき、曽野綾子さんの著書「心に迫るパウロの言葉」(新潮社刊)の一節を思い出す。

 しかし、その日以来、パウロは「与える」側に廻ったのであった。物質的なものや現世てきな権勢が全く色あせて無価値になり、その代わりに輝くような魂の世界が見え始めたのであった。その心の秘密は「使途行緑20・35」に極めてさりげなく、しかし決定的な重さをもって示されている。
 「あなたがたも、このように苦労して、弱い人を助けなければならないことと、また、主イエスズご自身が、『受けるより与えるほうが幸いである』と仰せになったことばとを、心にとどめておくように、私はいつも模範を示してきました」
 この「受けるより与えるほうが幸いである」という言葉は、現在の福音書のどこにも見当たらないという。とすると、パウロはこの決定的な一言を、生前の主の身辺にあった誰かから聞いたか、それとも、主との現実の出会いの中から告げられたか、どちらかである。あるいは、イエスズの言葉を集めた記録が、当時は存在していたのかもしれない。
 ここに語られていることは、極めて普遍的な真理である。人間が、自分は生きるに値するかもしれないと自ら思えるのは、受けるときではなく、与える時である、というのは心理学の明白な真理である。

 パウロのように神聖な行いではないが、確かに毎日自分の生きる価値をメンバーから教えてもらっている。
 決してスーパーマンでないunizouが、今のような生活を送れるのは、極めて素直に頼りにしてくれるチームのメンバーのパワーが宿っているからに他ならないと、そんな気持にさえなる。
 そして、今では、S君にかまわれるのも、自分の存在意義を確かめるいい機会だとさえ思えるようになっている。