タクシー運転手
先日、後輩と長野県内へ出張した。
後輩の運転するレンタカーで、急にunizouが「1か月、いや数週間でもいいから、タクシー運転手をやりたいな」と話しかけた。
「どうしてですか?」
「いやぁ、人生の面白さが見えていいじゃない。探偵もいいな・・・」
「確かに、面白いかもしれませんが、・・・」
急に突拍子もないことを言われて、面食らったかもしれない。
“面白い”というのは語弊があるかもしれないが、人間の多様さや、それぞれの人の抱える面倒くさいような人生を垣間見ることは、人間の持つ愚かさや純粋さを知ることになるという気がするからである。
unizouは、それぞれが抱えている重荷に立ち向かっている人が好きだ。
何もないなんてことはないほど、誰でも“禍福はあざなえる縄の如し”だ。
読売新聞の“本のソムリエ”で、以前次のような質問があった。
私はまだ10代ですが、最近、年を重ねるのが嫌になってきました。大人になるにつれ、少女のころの純粋な感性、素直さが失われてゆくようで焦ります。年を取る事への不安がなくなる本をご紹介下さい。(埼玉県 高校生葵香子さん 17)
この質問に対して、作家の井上荒野(いのうえあれの)さんが、次のような回答をしている。
純粋、素直であることは、そんなに素晴らしいかしら。ご相談を読んで、私がまず考えたのはそのことです。 小さな子どもが純粋なのは、まだこの世界のほんの端っこしか知らないからです。でも、人は、世界の端っこだけで生きていくことはできません。
純粋でなくなっていくことを嘆いているあなた。一見美しいですが、正直に言わせてもらえば、たんに面倒くさくなっているだけのように思えます。
あなたはもう、小さな子供ではない。あなたはもう17歳で、17年分のいろんなことを知っている。知ったぶんだけ、面倒なことも増えていきます。生きていくのは面倒くさいものなのです。
最初に“人生の面白さを見る”ということで、タクシー運転手になりたいと考えたと書いた。
その意味は、“人の人生を面白がる”という意味ではない。
この回答に書いてあるように、年を取ればとるほどいろんなことを知り、知ればそのことに苦しむような面倒くさい人生を誰もが背負う。
タクシーの中に、人はそれぞれの人生を引きずってきて、そして、背負って降りていくが、純粋に素直に、そのことに立ち向かっていく姿を見ることができる。
つまり、人間がいかに純粋で、愚かで、愛しいい存在であるかを凝縮したような世界を見ることができるような気がするのだ。
そのとき、そんなたくさんの人の、多様な人生を垣間見ることで、人の人生の奥深さを知り、unizou自身も「人として生まれたことの喜びを知る」ことに繋がるような気がしてならないと、タクシー運転手になってもいないのに、そう考えている。