「失敗もできる人生」を喜べ

 佳境に入っている受験勉強も、相当なプレッシャーだ。
 今の時期、「こんなことを書いていいのか」とちょっとためらうが、「そんな気持になったほうが、自分の力を発揮できるのではないか」と、あえて書きたいと思う。
 それは、以前から紹介している座右の書蒼竜寺の公方俊良住職の著書「般若心経 人生を強く生きるヒント」の中の一章。
 泰龍文彙(たいりゅうぶんい)という豪放な禅匠が、維新後新しい宗制が制定され、禅の指導に当たる者は、教導職の試験を受け、資格を得なければならなくなった。しかし、泰龍は学問などまったく苦手で、試験官が質問しても「わかりません」「知りません」を繰り返すのみで、不合格となったが、泰龍を知っていた禅宗総管長荻野独園(おぎのどくおん)のはからいで、最下位の権訓導(ごんのくんどう)という資格が与えられた。
 ところが、泰龍はそのことを気にする風もなく、意気揚々と寺に帰ってきた。

 「泰龍のように、自らのしっかりした人生観を持ち、自らの意志にいきようとすれば、世間の価値観や尺度で評価され、振り回されることはないのです。世間でいう“失敗”が、泰龍にとっては“失敗もできる人生”と喜んで受け止めることができるのです。
人生は常に順風満帆とはいきません。入試に失敗したり、希望の会社に就職できなかったり、事業に失敗したりというように、むしろ失敗や挫折の連続といえましょう。
しかし、失敗があるから人生は面白いのです。失敗したら、またやり直せばすむこと。
受験で失敗し、一年浪人したら、一年長生きしたらよいではありませんか。何度でもやり直せる、失敗できる人生を喜んで生きる大らかさを培うことです。(中略)
思い通りにいく人生にではなく、失敗や不幸の連続の中で、ああもできぬか、こうはどうかと知恵を働かせ、精一杯生きる人生にこそ、本当の幸せがあるのです。」

 こんな気持でいて諦めずに最後まで、全力で戦おうと思う。