真実の・・・

 真実の友達、親子、夫婦、会社、関係・・・。
 先日、テレビ放映されたWBC世界フライ級タイトルマッチ(11日)戦での内藤大助VS亀田大毅の試合。
 いろいろと試合内容で物議を醸しているので、そのことは他に委ねるとして、亀田父子のことについて、「真実の親子(・・・)とは」という点で書いてみたい。
 もうTBSに乗せられて走り出し、止まることができなくなった亀田兄弟。
 父亀田史郎氏は、子どもたちをどう見ているのか、何だと思っているのかという疑問で一杯である。
 なぜなら、今までの問題は、亀田兄弟にあるのでなく、父親の史郎氏の生き様に起因する気がして仕方ないからだ。
 普通の父親なら、子どもの一時だけの栄光や幸福を望むことなどありえない。生涯にわたって幸福で、自分の力を最大限に生かして生きて行ってくれることを心から望む。
 そして、幸せとは、他の人に勝つことではなく、愛や尊敬によって得られるもので、自分の生き方そのものを正しくしないと、絶対に得られないもの。だから、真実の親子なら、子どもと一緒になってはしゃいだり、騒いだりするべきではなく、もっと冷静に子どものことを真剣に考えてあげることが大事なはずなのである。
 ところが、亀田兄弟の父史郎氏は、子どもをマネーゲームの商品にし、お金を稼ぐことしか考えていないようになってしまっている気がしてならない。
 真の強さを教えるなら、力・技だけではなく、心を強くするようにするべき。
 浜崎あゆみさんの歌に、「kiss o'kill」という歌がある。その中に、次のような一説がある。


強がる程に弱さが見えるよ
牙を剥く程痛みが見えるよ

 
 まさに、父史郎氏は亀田兄弟に真の強さを教えられる真実の父子になって欲しいと願っている。
 でも、こういう「真実の・・・」は、ほかの関係でもなくて困ることが多い。
 相手の身になって考えてあげることは、言いにくいことも言い、見守ってあげること。
 亀田父子を見て、世の中の「真実でない・・・」が、「真実の・・・」に変わり、誰もが本当の居心地よさを感じられるようになったらいいと、本心から望んでいる。