セレンディピティ

 以前、企業診断ニュース(2007.5)で取上げられたセレンディピティ
 日本語でいうと、偶然の幸運を掴む能力となどと訳されていると紹介されている。
 さらに、それは、普通の人が気づかないような気づきによって、予想もしなかった幸運がもたらせられるということだという。
 つまり、「何気ない偶然から、当初予想もしなかったような幸運をつかむ能力」ということだと・・・。
 以前の体験から、この言葉を聞いて自分でも納得するところが多いと感じた。
 ただし、それが、セレンディピティの本来の意味の“幸運をつかむ”といった意味では、自分が幸運かどうかはあまり気にしていないので、何ともいえないが・・・。
 例えば、昨日書いたブログ「2007-10-07 社長の会社私物化への対抗」で紹介した浜辺陽一郎さん「会社法はこれでいいのか」【平凡社新書】という本。
 実はずっと、会社法の問題点を考えてきた。
 どの法律でもそうだが、一部の人の保護、経済状況を考慮してといった理由で、中途半端になってしまう。だから、法律のそういった点を悪用してしまうケースがたくさんある。
 徹底すればきっと公平になるが、なかなかそうならない。
 会社法も然り、機関設計が柔軟にできるようになったことや最低資本金の撤廃、そして社長の会社私物化のことなど、いずれも迷惑を被るのは従業員が一番でそのほかのステークホルダーになる。
 そういったことを考えてきて本当に本屋で偶然見つけたのが、浜辺陽一郎さんの本なのだ。
 本屋で読んだ本の一節にはこう書いてあった。

 <“ゼロ円起業”で景気をテコ入れ>
 要は、起業を促進することによって、誰もが容易に柔軟にいろんなことができるようにして、景気を刺激しようということだったわけです。
 <地に落ちるブランド価値>
 しかし、そうしたメリットの反面、非常に気軽で浅はかな会社がつくられるようになるとういうリスクもあります。
 これまでなぜ最低資本金制度という規制があったかといえば、教科書的には「株主(や(有)の出資者)出資を限度とする有限責任しか負わないため、会社債権者の引き当てとなるのは会社の財産しかないため」と説明されてきました。つまり、株式会社の中核的な原則として、十分な財産的な裏付けと十分な計画のもとに会社をつくるということが制度趣旨としてありました。

 これだけ読んでも、自分の考えを補強できる内容だと思い購入した。
 そして、もう一つのブログ。「2007-10-06 命、そして生き方」のこと。
 大親友のK君の父親のことから、命のこと、生き方のことについて書いた。
 いつも、自分の命の生かし方、生き方を考えているので、大親友のK君の話を書かせてもらった。
 すると、その日の読売新聞の夕刊に、難病と闘う女子中学生から届いた年賀状に書かれた「たったひとつの命だから・・・」という言葉の、<だから>の後に続く言葉は何だろうと、福岡県八女市の詩人童涼景(どうりょうけい)さんが、それを問いかけるプロジェクト*1をしたところ、様々な境遇の人が呼応したという記事が出ていた。
 少女の「たったひとつの命だから・・・」には、限りある命を大切に生きているからこその、重い問いかけのように思えたという。
 そして、少女のメッセージは、多くの人たちの心の中で響き合っているという。
 そして、unizouの命に対する考え方を補強し、鮮明にした。
 “セレンディピティ”という言葉の本来持つ「何気ない偶然から、当初予想もしなかったような幸運をつかむ能力」ということとは違うかもしれないが、自分の中にそれを求め、アンテナを張っていることで偶然見つけ、そして気づかされること。自分がその気になればいくらだってあるのかもしれないと、そう思っている。

*1:問い合わせやメッセージ ワンライフプロジェクト事務局0942-53-2844 約60編ををまとめた「たったひとつの命だから」(地湧社)の出版や朗読会を行っている。