農林水産大臣

 なんといっていいのか?
 農林水産省・・・「やっと前厄、本厄、後厄を終えた」といったような気持で、新たな出発ができるかと思ったら、改造内閣で就任した遠藤大臣も辞任することとなった。
 農業を産業として変革していかなければいけない時期に、こんな状況が続いていていいわけがない。
 この際、クリーンな人というだけでなく、何の因縁もない、農業を農業として熟知している人ではないほうがいいと思っている。ぜひ。産業として農業を育ててもらえるような経営感覚のある人に大臣をやってもらいたいものだと思う。
 族議員のようないろいろな意味で古い体質の人たちとつながりのある人は、思い切った改革を進めていくことが難しいのではないか。本心から農業の大切さを思い、根本から見直しができる人が望ましいということに尽きる。診断士の業務範囲として農業を捉えているunizouにとっては、非常に重要で関心のあることだ。
 それにしても、遠藤前大臣の就任記者会見はひどかった。
 「ここだけは来たくなかった・・・」
 本心ではなかったのかもしれないが、公の場で冗談でも言ってはいけないことだったと思う。
大変なことを知っていても、引き受けたらベストを尽くす。ほかに自分以上のことをやることができる人がいるかもしれないという謙虚な気持で、それでも自分が指名されたことは天命だと思って・・・。
 この逆に、世の中をあまねく見てみると、「やりたい、やりたい」という人には、本当にやりたいと思っていることの大変さがわかっているのかと疑いたくなることも多い。その大変さをあまり考えずに手を上げているといったように。そして、やることなすこと適当な人に、そういったことを言う傾向が強いように思う。
 人から期待されたり、仕事が困難なものであることを知っている人は、そんな風に「やりたい、やりたい」と手を上げたりしないのではないだろうか。自分の能力を知り、事の重大さを知れば「やりたい、やりたい」などと言えなくなるもの。遠藤農相も本心では「大変なこと、身の引き締まる思い」と思いながらも、指名されたからには男子の本懐(女子の本懐でもある)として、「全力を尽くしてやり遂げます」と言ったほうが、どれだけ格好良かったかと思う。
 でも、こんなことは政治の世界だけではないというのが実感だ。
 ・・・会社でもこんなことはたくさんある。
 自己研鑽を怠っている人が、ことの重大さをわかっているのか手をあげている。
 そういう人がなった場合、本人も不幸だが、周りの人間も迷惑だと思うようなケースを何度も目にしてきた。
 今回の農相の辞任騒動を反面教師として、人が何かを頼まれたときの心構えと、実際に頼まれた後にどう人が処すべきかを知ったような気がしている。