「警官女性射殺し、拳銃自殺」に思う組織の人間関係

 警視庁立川署地域課の巡査長(40)が飲食店従業員を射殺後、拳銃で自殺したとされる事件が、国分寺市で起った。
 昨日の読売新聞朝刊には、この事件以外にも、ここ数年警察官が拳銃を使用し自殺する事件が頻発していることも、“スキャナー”という見出しで事件を特集した記事の中で紹介していた。
 特集記事は、「警官の異変見逃す」、「勤務中たびたび管外へ」や「トラブル把握に課題」といった警察組織の職員管理のあり方を問うことが小見出しになっていた。
 しかし、これは警察官が拳銃を使用し女性を射殺、その後、自分も拳銃自殺するといった特異な事件だったからこんな大騒ぎになっているだけであって、今の世の中、職場で周りに本心から関心(変な意味でなく)を持って接しているという人がどれだけいるだろうか。
 今回の事件で言えば、心底、いろんな意味で周りが自殺した警官を人として、あるいは仲間として接していたかどうかということである。
 相次いで起っている自殺した警察官たちについても、同じことがいえる。
 確かに読売新聞の小見出しに書かれているように、職員管理のあり方を組織として考え直す必要もあるかもしれない。
 しかし、実際は、真の仲間として、日常生活の中でいいことはいいこととして伝え、悪いことは悪いとして伝えていくことが、大事なのではなかったかと思うのである。
 unizouの会社でも、社員の身上把握をしっかり行うよう幹部社員には日常的に繰り返し伝えられる。
 社員の不祥事が、会社のダメージになることが一番の理由で、他の社員の仕事に影響しないとも限らないからである。
 ところが、実際に組織として身上把握するといったところで、誰もが私生活のことまで日常的にしゃべる時代ではなくなっているのが現実なのだ。
 社員同士も、上司と部下の関係でも、実際そう言えるのではないか。
 そういった形式的な形で訴えても、誰も真実は話さない。
 相手を思いやっている気持が伝わり、尊敬される立場にいなければ、組織的に身上把握しようとしても、上っ面の話は聞けても、本心まで見せることはないのだと思う。
 unizouの実際の経験でも、毎日、仕事が終われば一緒に飲んでいるような職場にいた上司と部下、同僚であった人たちが、「お互いの本音の部分ついては何も知らないんだ」と思うような組織にいたことがあった。
 先日、自分の課内の社員に仕事の資料を渡し、いつも座右の書にしている公方俊良僧侶の著書「般若心経 人生を強く生きる101のヒント」の中の一つをあわせて紹介しておいた。

 観音さまの慈悲のお働きの徳を抜苦与楽と申します。(中略)
 観音さまは、まず苦しみにある人から、相手の苦しみの実情をつぶさにお聞きになられ、相手と同じ立場に立たれるのです。これが相手の音声を観察するということで、観音さまといわれるのです。相手と同じ立場に立てば、相手がうれしい時は喜び、相手が悲しいときは泣くという一体感に立てます。苦しみの8割は相手に聞いてもらっただけで解消するといわれています。これが観音さまの慈悲の徳といえます。
 次に観音さまは、相手と共に解決策を考え、智恵を発揮し、その人に応じた魚の捕り方を教えられるのです。
 そうすればその人は一生幸せに導かれるでしょう。これが、与楽です。

 こんな気持で職場で誰かれなく接していたら、不祥事なんて起きないのだと思うのだが・・・。