勉強、そして生きること

 「どうして、そんなに勉強するの」と周りから言われる。
 「勉強すると、お給料が上がるの?」、「資格を取ると、何か得することがあるの?」とも・・・。
 最近、記憶力がすっかり弱くなって、俳優などの著名人の名前や昔の知り合いの名前がなかなか出てこなくなった頭を悩んでいるほどで、それほどしていない勉強でも、そう思われることを不思議に感じている。
 ただ、年を重ねるごとに何かを知ることに貪欲になったのは、事実ではある。
 そして、知った事実から、それがさらに広がっていくことを、楽しんでいるといったことも・・・。
 生きれば生きるほど、人の弱さ、儚さ、ずるさや愚かさ、逆に強さ、美しさ、たくましさや賢さも知ることになった。
 すべての勉強は、人そのものを知ることに繋がっているような気がしている。
 「勉強のために、勉強しているわけではない」、「資格を取るために勉強をしているわけではない」というのが本当のところ。
 「勉強することで、自分が成長し、人の役に立つこともあるし、それで、自分の生きている意義を感じられることもあるよ」と答える。
 「野球の選手も、野球をするために野球をやっているわけではないんだよ。見る人がいるから野球ができる。じゃ、なぜ、野球を見る人がいるのか?それは、野球を通じて自分の人生に投影できる何かを感じるからだと思うよ。辛さや苦労を乗り越えて、何かを達成しようと努力している野球の選手の姿そのものに、自分の人生を重ね合わせていると思うよ。そして、そういう人がいるから野球の選手は野球ができる。野球が単純に好きだけでは、やり続けることは難しいと思うよ」と答える。
 生きれば生きるほど、やりたいことがたくさんできる。
 それも、自分のためでなく人のためになるようなことが・・・。(結果としては、自分のためかもしれないが・・・)
 そうすることで、自分の生きている価値を感じられるということなのだと思う。
 勉強のための勉強ではなく、学んだことを活かすことができなくて、勉強する意味などない。
「年を重ねるごとに何かを知ることに貪欲になったのは、事実ではある。」というのは、本当はこの年になっても知らないことが多いという反動なのかもしれないが・・・。