余命1か月の花嫁

 昨日の夜、TBSで放送されたドキュメンタリー番組「余命1か月の花嫁」。
 痛みに耐えて、病気と戦い抜く姿に感動を覚えた人は多いだろう。
 そして、彼女の周りにいる人達の彼女への惜しみない愛情にも・・・。
 がんは、脳卒中、心疾患と並んで、日本人の三大死因の一つである。
 以前ブログで取り上げた藤田憲一さん、フジテレビのドキュメンタリー番組で紹介されたサーファーの飯島夏樹さんも、やはり末期がんだった。
 こういった人達を各テレビ局が取り上げて、がんの早期発見のための検診の必要性への警鐘となれば、それはそれで有意義なことである。
 しかし、そういったこと以外にこういった番組は、私たちに何を訴えようとしているのだろうか。
 こういった番組に取り上げられた人たちの生き方は、私たちに何を教えてくれるのだろうか。
 見ている人の中には、「かわいそう」という気持で、涙があふれてしまう人も多いだろう。
 そして、それは、他人事の人生として、そう思っている人もいるだろう。
 ところが、実際、彼らは「かわいそう」な人生を送っているといえるだろうか。
 私たち以上に、幸せで有意義な人生を送っているとはいえないだろうか。
 耐え難い痛みはあるものの、時間の大切さ、人生の重みを感じながら、濃密な時間を愛ある人達と一緒に過ごしている。
 私たちの多くは、耐え難い痛みはないものの、時間を漫然と過ごし、人生の重みも感じることなく、愛ある人達に囲まれていながら、そのことに気づかず、物足りなさを感じて生きている毎日である。
 彼らの生き方が教えてくれることは、与えられた運命の中で、自分自身で精一杯あるがままの人生を感じて生きることのような気がする。
 そのためには、今日を最後と生きることが大切なのかもしれない。
 それも、刹那的な生き方でなく、思慮深い生き方で・・・。
 これが、なかなか、凡人にはできないという気がする。
 ところが、実際は簡単にできる・・・?不思議なことであるが、考え方を変えれば簡単にできる。
 それは、いつ死んでも「いい人生をありがとう!」と言えるようにすることだという。
 unizouの座右の書「般若心経 人生を強く生きる101のヒント」【三笠書房:知的生き方文庫、公方俊良著】の「21精いっぱいの心 いつ死んでも『いい人生をありがとう!』と言える」かには、次のように書いてある。

 災難が現在の事象なら、災難と一体となって生きる中にこそ、幸せはあるのです。
 どうすれば幸せを早く見出せるかではなく、どうすれば苦しみを背負ってゆけるかを思うことです。人生には、どんな幸せな生活においても、必ず苦しみはつきものだからです。

 病気である。・・・でない。
 友達がいる。・・・いない。
 愛する人がいる。・・・いない。
 お金がある。・・・ない。
 才能がある。・・・ない。
 どんな人生もあるがまま受け入れて、生きていく。誰一人として、その生命に意味のない人はいないのだからと、・・・。