親方日の丸と市民政治

 第21回参院選の公示を12日に控え、日本記者クラブ主催の7党党首討論会が11日午後、東京・内幸町の同記者クラブで開かれ、安倍首相が「社会保険庁のまさに親方日の丸的な体質を改革し・・・」といったような内容の発言をしたと報じられていた。
 一方で、読売新聞には、新財務次官に就任した津田広喜氏が、昨今の天下り批判などを通じて政界に「公務員たたき」の風潮の見られることを、「公務員たたきすぎないで」とインタビューで発言したと報じられていた。
 この両者の発言に違和感を覚えるのはunizouだけだろうか。
 なぜ両者の発言に違和感を覚えるのか?
 それは、安倍首相をはじめ歴代の内閣は、行政のトップであった。
 「親方日の丸的な体質」を許してきたのは、つまり歴代の内閣である。
 今、社会保険庁だけが槍玉に挙げられているが、ほかの省庁も似たり寄ったりで、その原因は歴代の政策能力のない政治家たちで作られた内閣が、官僚に政策の立案を任せてきた過程で、行政のあり方まで委ねてきてしまったということに尽きると思っている。
 だから、官僚の中に、政治家もどきのような人達がいて、立場を誤解しているように思う。
 本来、官僚は、政策の適正な実行のみに力を注ぐべきなのに、政治家のような振る舞いをしてきてしまった。そこに、権力と金が絡み、過去の公務員不祥事の数々になったということが正しいと思う。
 そして、一方の津田新財務次官の発言、「公務員たたきすぎないで」では、「『役所は、その分野における制度などについて、情報などを相当持っている』と強調し、うまく使ってもらえれば役に立つ存在であると自負している」という。
 しかし、「役所の持っている情報」は、国民全体のものでもある。
 だから、政治家が使うとかいったものでなく、国民に還元すべきであるものである。
 できるだけ積極的に開示していくのが筋である。「公務員たたき」とは別の次元の話である。
 国会開会中、議員質問に対応するため、官僚が「待機」していることなども、政治家の無能さの現れであり、情報を最初から公開していれば、手間が省けることばかりである。開示された資料で議員の質問を大幅に減らせばいいのだ。
 また、国会議員も、行政の持っている情報などを取得するために、労力を費やすことなど愚の骨頂である。
 こういった両者の発言が飛び出すのは、何よりもこの国に本当の市民政治が根付いていないことが、これらの原因となっている。
 市民は、芝居を見る観客のようで、芝居の演じ手がいいとか、内容がいいとかそういった視点でしかとらえていないため、その結果が自分たちの「今」や「将来」に繋がるとは思っていない。
 「芝居はあくまで芝居である。それは、劇場で起っていることにしか過ぎない。自分たちの生活とは無縁である。」といったことだろうか。
 しかし、本当はそうではない。「今」の生活にも、「将来」の生活にも影響している。
 だから、現実的な選択をしなければいけないことがたくさんある。給付を求めるならば負担をしなければいけないし、負担をしないことを求めるならば給付は求めないとか、そういった現実的な視点が必要だと思っている。
 そのためには、行政が積極的に情報を公開し、政治家がそれらの情報に基づき政策を作り、国民が現実的な選択をする。
 そういった単純な循環から、日本の将来が変わって行くと思うのだが、いかがなものだろうか・・・。