「ふるさと税」制度創設・・・。問題の先送り?懐古主義?

 今、話題になっている、「ふるさと税」制度創設。
 「地域格差」の是正が理由だというが、今、「格差」の本質を誰も見極めていない。だから、格差についてのコンセンサスが、国民の間にできているわけではない。
 それなのに、「格差」という言葉を使えば、今の世の中の問題が全て片付くように思っていて、こんな発想になってしまうのだろう。耳障りのいい言葉に踊らされて、国が滅びてしまうことを懸念している。
 戦後見てきたように、過疎地にお金だけつぎ込めばハコモノ行政や乱開発になる。
 作ったはいいが、結局、それで過疎が解消されたという話は一向に聞かない。
 過疎になる理由は、きっと便利さや収入だけの問題ではないのだろう。
 だから、「地域格差」という言葉は不適当で問題の的を射ていない。
 そして、人口に適応した財政規模になるのは致し方ないのである。
 「入るをもって出を制す」していく。
 その代わり、手をかけない、かけられないメリットもある。
 それは、森や林が自然な姿に戻っていくことだろう。
 ひょっとすると、そのせいで、観光客が戻ってきたりすることだってあり得るのではないか。
 日本の観光地がダメなのは、日本全国どこに行っても金太郎飴のように同じ風景(コンビニがあり、看板がいたるところにあって、そして送電線があるようなところ)が広がっているからで、特徴のあるホテルや飲食店などでない限り、観光地はその存在意義を見出せない。
 以前、松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入蝉の声」で有名な東北の観光地山寺(立石寺)に行ったことがある。
 自分の足で登らなければいけないこと、昔と変わらない佇まいが良くて、多くの人が訪れていた。
 そんな場所にロープウェイや道路ができると、世俗的になりすぎて、誰も行かなくなる。
 本当は、徹底的に不便なほうが、本気で行きたいと願う人が行くし、その価値も上がる。そういった人たちは、ごみも落とさないだろうし、その環境を大事にするだろう。そして、未来永劫、そういった場所の本当の良さが残る。
 道路が良くなれば、悪質な廃棄物処理業者や市民が、山の奥深くまでごみを捨てに来て、がっかりするような風景が広がってしまう。
 だから、誰も住まなくなったような場所を、賑やかにしようと「ふるさと税」なんて考えないほうがいいというのが、unizouの意見だ。
 今、過疎地に住んでいる老人が安心して死んでいけるように、そのケアのための費用を十分に手当てしてあげられるよう国家として対応するのが一番良いことだと思う。それには、「ふるさと税」など創設しなくても、政治家の皆さんが知恵を絞れば何とかなると思うのだが・・・。