超管理職

 昨日は、PHP文庫から出ている中谷彰宏さんの「こんな上司と働きたい」を紹介した。
 今日は、やはり中谷彰宏さんの「超管理職」(PHP文庫刊)という本を紹介したい。
 その前に、少し前置きを話したいと思う。
会社に勤めてからこれまで、本当に尊敬できる上司に恵まれたのは、数人しかいない。(これは、以前ブログでも書いた)
 仕事ができると感じた(物をよく知っている)という人は、尊敬できる人の数よりは確かに多かったが、仕事ができる=尊敬できるという方程式にはならないので、必然、尊敬できる上司は少ない。
 では、何を上司に求めているのか。上司になったら、どうしたいのか?というと、こんな感じである。
 まず、第一に、酒をコミュニケーションツールにして、部下の身上を把握しようとなどせず、日ごろの仕事ぶりをしっかり見てくれる。体調が悪そうだったり、何か悩んでいたりするようすを、見ていないようでしっかり見ている。
 第二に、組織としての成果を求めていて、それぞれの部下の能力(個性)を引き出すことに力を尽くしている。
 第三に、公私混同はしない。
 第四に、会社だけでない、広い視野と人生を持っている。
 第五に、ポストと“偉い”を履き違えていない。
 そして、最後の第六は、失敗は自分の責任、功績は部下にという感覚を持って仕事をしている。
 思いついたままに書いたのだが、こんな感じだろうか・・・。
 「上司」はこうあるべきと、感覚(あくまで感覚だった)だけで思っていた。
 最初にいったように、この条件に当てはまった上司は3人くらいだった。
 自分に当てはめても、一番難しいのが、第一と第三だ。第六は、見た目の格好だけであれば、実際は別として何とかなる・・・。
  第一は、そういうようにしているつもりでも、自分の仕事が忙しいと、おろそかになってしまうことが多い。
 第二は、部下の能力を引き出そうとしても、かなりの根気がいる。それに、自分好みの色に染めること=部下の能力を引き出すことになってしまう場合もある。
 そして、こういったことは、真剣に取り組めば取り組むほど、自分の能力のなさや部下とのギャップが自己嫌悪に陥る原因となる。
 中谷彰宏さんの「超管理職」では、今述べたことについて、次のように具体的に述べておられる。
○ 部下は、なぜやめるのか?
  働く理由が見つからない限りは、当然やめていいと考える。
○ 管理職の仕事は、命令することだという誤解
 納得のラインまで到達しないと、動かしているつもりでも、本当は彼らは動いていない。無理やり自分の立場を利用して、力でねじまげているだけなのです。
○ 教育とは、自分のスタイルを覚えさせることか 
 型にはめるというのは、型からはみ出している部分をつぶしていくことです。そうなると、教育すればするほど、人間は一つの画一的な存在になっていく。
○ マネージメントとは一糸乱れぬチームを作るという誤解 
 マネージメントとは、ばらばらな目的を持った人間から、利益を生み出すこと、
○ 管理がいけないという誤解
 管理がいけないのではない。管理されていることがバレるような下手な管理がいけない。

○ 多忙で部下の教育をしている暇はないという嘘

 忙しいときほど教育するチャンスがある。ゲームをさせながらトレーニングする。

○ 上司と部下は上下関係であるという誤解

 部下は上司が思っているほど、上司だと思っていない。超管理職は、部下とパートナーである。
 
 これらのことを実践しながら、自分の性格(性質?)だろうか、みみっちくて、了見の狭い自分にぶち当たる。
 管理職としての器を磨くより、自分の性格を直さなきゃと思うときもあるが、今まで数人しか会ったことのない、尊敬できる上司が3名程度ということを考えれば、尊敬できない数多の上司に比べれば、「まだまし?」と自分をほめてやる気持にもなる毎日である。