本当に強い人、強そうで弱い人

 本当に強い人とは、どういう人なのだろうか?
 以前から、本当の強さとは一体何かと考えてきた。
 K-1の選手のような肉体的な強さ?
 偉い人は、強い人?
 どんなときでも、覚悟ができてる人?(例えば、武士のように責任を取らされる場合、切腹もできるような・・・)
 こんなことを書く気になったのには理由がある。
 実は、先日の朝、こんなことがあった。
 社内旅行で海釣りに行ってきた隣の課のSさんに、「天気どうだった?」と聞いたところ、「海釣りはできたのですが、あいにく雨に降られてしまって・・・残念でした」
という返事が返ってきた。
 すかさず、冗談で「誰か行いの悪い人でもいたのかな・・・?」と笑いながら返した。
 そのときは笑っていたSさんが、お昼休みに神妙な顔をして、「unizouさん、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが・・・よろしいですか?」と尋ねてきた。
 「いいよ」と軽く返事をして、個室に入って話を聞く。
 すると、「私、unizouさんから見て、行いが悪いと思われるくらいどうしようもないですか?」と聞いてくる。
 ・・・・、朝の件か。「いえ、そんなことないよ。仕事がんばってるし、今日の朝の話は、Sさんの行いが悪いという話じゃなくて、天気が悪かったのは、誰かそういう人がいたのなぁっていう軽い冗談で・・・別に他意はないよ。もし、Sさんにそう取られたのなら、誤解を生むような言い方してごめんね」
 「いいえ、いいんです。何だか、今日は、言われたことが妙に引っ掛かって・・・。いつもなら、そんなことはないんですけど」と、思っていることを必死に言っている感じで、目にうっすら涙を溜めているようにも見える。
 Sさんも、unizouに会う数年前に精神的にダメージを受けていた時期があったと聞いていた。今では、 すっかりそんな姿を微塵も見せないが、やはり人は、微妙で、繊細にできているようなのだ。もちろん、uniuzouは、誰に話をするときにも、言葉のやり取りには十分気をつけているつもりが、つい軽口を叩いてしまったと反省したのだが・・・。
 どの会社でも精神的に参ってしまっている人が多いと聞くが、実は、unizouは長野支店に勤務していたときにも、同僚にそういう人がいた。
 その時に、「人を精神的に参らせてしまうのは、一体何なのだろう?」と考えるようになった。
 自分もそうなるのだろうか?
 そうならないとは言わないが、では、そうなってしまう人と、そうならない人の差は一体何なのだろうか?
 そんな疑問を持って、その同僚を見ていた。
 だから、悪意や他意のない言葉でも、当人にとってはひどく傷つく場合があることを知っていたのだ。
 その当時、本屋で見つけたのが、「本当に強い人、強そうで弱い人」という国立精神・神経センター心身症研究室長の川村則行さんが飛鳥新社から出版した本だった。
 久しぶりに付箋のついている箇所を読んでみる。
 有名私大の理科系学部を卒業して、あるメーカーに就職した39歳の男性。仕事一筋に、もモーレツ社員として、いち早く課長に昇進し、社内でも出世頭と目されていた。
 しかし、会社が大規模な技術革新を断行することになり、新しい知識を身につけ、新技術に対応しなければいけなくなる。ところが、必死に勉強しても、新しい技術についていけない。これまでに味わったことのない屈辱感を味わい、エリート社員として常に先頭に立ってきた彼にとって、この現実を認めるとはたやすいことではなかった。そのため、以前にも増して仕事に励んだが、やがて心の健康を害し、うつ状態に陥った。
 そんな中、川村先生は、少し休む時間を持つように話した。
 そして、今までバリバリ仕事とをしていたが急に出世街道から外れていくことに当惑した妻に、とうとうある日、本音を漏らす。
 「オレはダメなんだよ。就いていけないんだよ。わかってくれ・・・」。
 エリート社員としての顔しか知らなかった妻に、夫の置かれた状況を理解させるには十分な説得力あった。
 彼は会社に対しても、妻に対しても、そして自分自身に対しても、弱さを素直に認めた。

 彼は、会社での地位や、出世という大切なものをなくしたかもしれない。誇りも大いに傷つけられたことだろう。しかし、そのことで手に入れたものも、確かにあったのではないだろうか。つまり、自分の弱さを素直に認めたことである。それができたことで、家族との絆を再確認でき、これまでとは違った価値観もあることに改めて気づくことができた。このことは、彼のこれからの人生にとってプラスにこそなれ、決してマイナスにはならないと私は思う。以前の彼より、確実に強くなっているからだ。
 人はどんなに弱くても、経験に基づく強さを身につけることができると書いた。しかし、そこにはルールというものがある。それは、自分が弱い人間であることを素直に認めることだ。弱さを受け入れる強さを持つことだ。 この第一公式を抜きにして、人は絶対に強くはなれない。

 あんなに優秀でがんばっていると思うような人が、急に精神的に参ってしまうケースがある。
 だから、川村先生が言うように、本当の強さに、絶対的なものはない。
 自分の弱さを認めながら、本能的に自己防衛を繰り返していく中で、強さが身につくのだと思う。
 そして、今回の件では、Sさんとは、今までのコミュニケーションが、信頼関係を気づくまでに至っていなかったのだと思う。
 何よりだったのは、Sさんが、unizouからもらった言葉に対する不快な思いを、溜め込まずに話してくれたことだった。
 それは、Sさんが弱い自分を素直に認めて、話してくれたことに他ならないと思う。
 これからは、誰とでも、単なるコミュニケーションでなく、信頼関係が築けるようなものにしていこうと思う。