本気で働くこと、本気で遊ぶこと、そして本気で生きること

 誰もいなくなった会社で、一人で仕事をすることがある。
 最近は遅くとも10時には帰れるが、以前は夜中の12時前後までということがあった。
 小さな部屋なら、それほど怖くなることはないが、だだっ広い部屋だと、物静かな中で時たまする物音が妙に気になる。
 「誰もいないはずなのに・・・」と思うのだが、それ以上考えるのを止めてしまう。
 そして、独り言をいいながら仕事をすることに決めている。いや、決めているというより、そうしないと不安になるからそうしているという感じだろうか・・・。
 最近の独り言は、こんな感じである。
 「どうして気がつかなかったのだろう?あのとき、気がつけばもっと早く終わっていたのに・・・」
 「実際にやってみると、自分でやらないと問題点がわからないことに気がつくなぁ。今のやり方だと効率も悪いし、工夫する余地がたくさんあるし・・・」
 「どうして担当者は、いつも同じことを同じようにやっていて平気なんだろう?もっと、簡単に効率的にと考えないのかなぁ?」
 「それにしても、みんな、仕事好きなのかな?『仕事好き?』って言うのも変だけど、物を右から左に動かすようなことで、満足しているのかな?“本気”でやってるのかなぁ・・・」
 「じゃ、自分は『仕事好き』なのかな?今までの人生でどうしてもこれをやりたいと、先に思ったことはなかったなぁ。そこに仕事があるからやって、やるなら面白くって感じだったな・・・。でも、“本気”で働いてきたとは思うけど・・・。」
 こんな感じのことを言っていたように思う。
 誰かがそっと見ていたら、物音より気味が悪い光景と思うかもしれない。時折、一人で笑ったり、かましたり、賺したりしているから・・・。
 そして、最近独り言に出てくるテーマは、“本気”らしい。
 周囲の人間が、「“本気”は疲れる」とか、「“本気”は、誰かと摩擦を生む」といった姿勢に見えているのかもしれない。できれば穏やかに過ごしていたいと思うのが人間の習性だから、“本気”を避けるようになっていると・・・。
 それに、“本気”で何かに取り掛かると中途半端に投げることができなくなって、最後まで関わらなければいけなくなる。だから、仕事以外の時間も大切だからと、“本気”を避けているようにも見えているのかもしれない。
 unizouが、昔からよく言われていること。
 「仕事のしすぎだよ」、「たまには休んだほうがいいよ!」、「体大事にしてね・・」とか・・・。
 しかし、仕事のしすぎと感じたこともなければ、体を大事にしていないわけでもない。ましてや、プライベートの時間も大切にしている。
 だから、“本気”でやっていても、何とかなっているのだと思う。
 働くことも、遊ぶことも、“本気”で楽しむことだと思う。それが、本気で生きることなのだと思う。
 最近、どうも、周囲の人間と自分との“本気”度のギャップに悩まされている。
 ・・・。
 これも、unizouの“本気”の証かもしれないが・・・。
 「企業診断5月号」の目次の下に「なぜ、人は本気で働かないのか?低迷スーパー、復活・再生のドキュメント」という本の広告が出ていた。きっと、unizouだけ、unizouの職場だけに限らない話なのかもしれない。