僧医

 unizouの友人が合格した医師国家試験は第101回、そのちょうど1年前の第100回に合格した禅僧の存在を知った。
 その名は、「対本宗訓(つしもとそうくん)」氏。現在、臨床研修医として、母校の附属病院で内科、外科と主要な科を研修し、将来的な専門には、終末期の緩和ケアを目指しているそうだ(http://www.sokun.net/index.html)。
 ご本人の経歴を聞き、同じ職業人(禅僧を職業人とお呼びしてよいか疑問がなくもないが)として、学び続けることを教えられた気がした。
 大学を卒業後、世界遺産として我々にも有名な京都嵯峨の天竜寺で雲水(禅の修行僧)として15年に渡る修行を経て、38歳のとき、臨済宗佛通寺の管長(一宗一派を管理する最高責任者)に就任する。その管長在職中に医学部受験を目指したのだ。
 目指した理由には個人的な動機と宗教者としての動機があったという。個人的な動機としては、師父(師匠でもあった父親)の生老病死に立ち会った経験が最大の理由で、それは同時にプロセスとしての死にどう向き合っていくかという宗教者としての問題意識につながり、それは、医療系大学の講師として死生観や生命観について講義しているうち、僧侶の真の役割は葬送儀礼にあるのではなく、「生老病死」の苦しみを苦しんでいるその生きた現場にこそあるのではないかという考えにたどりついたという。
 また、ときに臨終間近の患者さんによばれ、ベッドの脇で静かに語り掛けることもあったが、医学知識の欠如から超えられない壁を感じたり、黒い法衣姿で病院に入って行くこと自体憚られたりということも、自らが医師として白衣で入ればいいと思ったこともあるそうだ。
 管長職と受験勉強の両立の中、見事合格を果たすが、管長職と医学部生の両立は宗門に許されず、後に管長職は辞任することになる。その後、6年の学業を修め、卒業年次に国家試験に合格されている。
 夢は、かつて医療や福祉が宗教活動と一体のものであったように(寺院が幼稚園や老人ホームを併設するのもその流れ)、寺院の境内地にホスピス的な医療施設を造って、行政や民間とタイアップして、地域社会に貢献すること。
 宗教法人と社会福祉法人、医療法人の一体化という観点もまた面白いが、宗教者の中にに賛同者はまだまだ少ないそうだ。企業のあり方もしかりだが、寺院のあり方も時代とともにその担う役割は変わってくるのかもしれない。