代理出産判決に思う

 23日、最高裁高田延彦(42)、女優の向井亜紀(42)ご夫妻と代理出産で生まれた子どもに親子関係を認めない決定を出した。
 不妊に悩む人達にとって、愛する人との子どもを授かることは、どんなことを差し置いても叶えたいことだと思う。
 今回の判決を残念だと思う人は、きっと多いに違いない。
 向井さんも、ブログで「結果は、ネガティヴなものでした」とコメントしているという。
 著名人である向井さんが今回のような裁判を起こすと、彼女の出演している番組を見ている人にとっては、彼女の印象が好感をもって受け入れられているせいで、判決が相対的に理不尽のように感じられるような気がする。
 しかし、この手の主張は、当事者にとっては切実な問題なのであろうが、よくよく考えてみると、本当は判決が至極妥当なのではないかと思う。
 そんな感想を抱くのは、unizouだけだろうか?
 先日、最近話題になった無戸籍児のニュースを「弱者は強者?」http://d.hatena.ne.jp/unizou1972/20070319と題してブログで取り上げた。
 無国籍児は弱者である。国籍も与えられず、友達と卒業旅行に行こうと思っても、パスポートがもらえない。友達と一緒の行動ができないから、可哀相だという。
 そこで、民法の規定「300日規定」を見直すように親が求めているというニュースである。
 個々の事情を考慮すれば、いろいろあるだろうと思う。
 今回の件も、個々の事情を考慮すれば、認めてあげたいとも思う。
 しかし、判決は、親子関係を認めない理由を、「親子関係は公益や子の福祉に深くかかわるもので、明確な基準によって一律に決められるべきである」という。
 読売新聞の社説によると、「親子の身分関係は社会秩序の基本である。高裁のような事例ごとの救済にはなじまない、ということ」と論説している。
 unizouも、無国籍児の件にしても、今回の件にしても、特別なことだと思う。
 一方で、どんなに欲しくて子を授からなくても、自然の摂理に任せた不妊治療を行っている人も多いように思う。
 そして、最後まで子に恵まれずに夫婦二人の生活を、幸せに暮らす人もいると思う。
 もし、どうしても個々の事情を優先したいのであれば、法律に縛られない生き方を勧めたい。縛られないというより、法律に保証を求めない生き方である。
 今回の向井さんの例であれば、親子の関係があることは、ご夫妻は知っているし、信じられることだろう。であれば、法律で親子と認められることなどを求めずに生きればいいのではないか。
 形に囚われることなく、真の親子として生きる。
 それにしても、世の中には、こういった個々の事情を、社会全体が守るべき法律に組み込もうとすることが多くなったような気がする。
 それは。人道主義者や一部のマスコミの取り上げ方が、一方的に過ぎる嫌いがあるためだと思う。
 もし、これから個々の事情を法律に反映させてばかりいたら、法律などなくてもいいようになってしまわないかと不安でもあり、また、自由な世界では当たり前と観念せざるを得ないかもしれない。