「いい人」をやめると楽になる

 祥伝社黄金文庫から出されている曽野綾子さんの著書の題名である。
 曽野さんの言うように、「いい人」をやめると楽になる気がするが、実際は人間ができていないせいか、全然にならずに落ち込むばかりである。
 三笠書房知的生きかた文庫の「賢い生きかた・愚かな生きかた」の中では、著者の加藤諦三さんが、「自分らしく生きる」ことや、「人に左右されないで生きる」ことを説いている。
 しかし、これもなかなか難しい。
 大体、自分らしく生きるということを押し通すと、人に嫌われる気がして、妙に落ちつかない。
 青春時代でもあるまいし、人に好かれていたいなどと思うことが、実際は不似合なことなのだが・・・。
 だが、現実は、管理職として言いたくないことを口にし、口にした後で真意が伝わっているか気になり、自己嫌悪に陥りながら帰宅する毎日である。
 こんな毎日をずっーと繰り返している気がする。
 ところが、自分を褒めてやるべきなのか、帰って寝て、あしたに起きると、また、闘争心が湧いてくる。もちろん、人に対してではなく、やり遂げなければいけない仕事に対してである。
 そして、相も変わらず、周囲と喧々諤々となる。
 よくよく考えてみると、それが幸せなことなのかもしれないと思う。
 もし、言っても何も変わらないからと、言いたいことを言わず、目にしたことに口を出さずにいたら、ただボーっと過ごしているだけのもっと苦痛な毎日になるだろう。
 とすれば、直すべきは、周囲の目や口を気にしている自分自身の気の持ちようであるし、言いたいこと言うときにうまく伝えられない自分自身の深みのなさなのかもしれない。
 先日、浜崎あゆみさんのコンサートのことを書いた。
 一つだけ、彼女の言った言葉で書き損じていた言葉を思い出した。
 「みんなのいいところを出していきたい。そのために、厳しい注文もするし、自分もそれ以上の努力をする。仲良しクラブじゃないんだから・・・
 この「仲良しクラブじゃない」は、unizouも今の職場で前から話していたこと。嫌な奴(?)にならなければ、自分たちの目標は達せられない。
 最後に、『「いい人」をやめると楽になる』に書いてあることを紹介したい。

 真実を告げるのに臆病であってはならない
 友人はその人に真実を告げるのに、臆病であってはなりません。それが本当の誠実というものです。この手の厳しさに対しては、日本人ほとんど評価しないようです。
(中略)
 しかし、基本としては、真実を告げない誠実や友情がどこにありましょう。友人同士というものは、ただ体裁よく社交的な話をするものだ、というのは、根本的にまちがっているのです。もちろん、そのような厳しさを示された時、私たちは苦しみもし、動転します。しかし、人生は、ほんとうはそれほど厳しいものなのです。ですから、私たちは自分にとって苦しい人生を見せつけられた時にも、感謝ができなければならない。それが、ほんとうは友情の基本でしょう。

 自分のためでなく、周囲の人を思って言うべきことをいう。「楽」にはならないかもしれないが、自分が存在する意義が、そこにはあるように思う。