弱者は強者?

 先日、友人からいきなり見知らぬ男性にホームで殴られたという話を聞いた。
 相手は三十前の若い男性で、奥さんと一緒だったという。
 警察に行き、いきなり殴られた状況を説明したのだが、警察からは、相手は精神障害があり、告訴しても罪に問われないかもしれないと言われたという。
 怪我も幸いたいしたことがなかったので、告訴することを断念し、そのまま帰ってきたということだった。
 何か気に入らなかったかもしれないが、友人にしてみればいい迷惑だったと思う、
 それにしても、殴られた拍子にホームから線路へ落ちてでもいたらと想像したら、ぞっとした。本当に不幸中の幸いだった。
 殴った男性は精神を病んでいてやったことの意味さえわからない、世の中全体から見れば、弱者なのだと思う。
 しかし、一部のマスコミや人権派人道主義者と呼ばれる人達が、そういった弱者を守ることのみに目を奪われた解決方法を訴えてばかりいると、何も悪いことをしていない友人のように、こんなひどい目に遭遇する人達がたくさんでてくる。
 人間として認めないと言うことではなく、彼らが不幸な事件を起こさないように、そして、普通に生活している人達が巻き添えにならないようにするための最善の方策を、ただ、彼らの人権を訴えるだけでなく見つけるべきなのだと思う。
 彼らの人権ばかりを訴えていく手法によって、彼らのような弱者が、本人たちの意図しないところで強者の立場に立ってしまっている。
 ところで、今回のことだけでなく、弱者と言われる人たちが、いつのまにか強者の立場になっていることは、実際世間にはよくあることのような気がする。
 世の中には、少数の強者と少数の弱者がいて、大部分の人は、強くも弱くもない、淡々と自分の役目を果たして生活しているサイレントマジョリティなのではないだろうか?
 いくつかの強者になった弱者の例を挙げたいと思う。
 一つは最近話題になった無戸籍児のニュース。
 離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子と推定する民法772条が原因で戸籍がない子どものために、無戸籍児の親が民法の「300日規定」を見直すように求めているという。
 確かに子どもたちに罪はない。しかし、300日が270日なら良いのだろうか。270日でもだめで、240日ならいいという人が出てきはしないのだろうか?いずれ、離婚の翌日生まれた子でも大丈夫なようにしてくれという人はでないのだろうか?
 しかし、よくよく考えてみると、こういった女性は弱者かもしれないが少数なのである。
 多くの女性は、こんなことはありえない。
 もともと、日数の問題ではないのである。人権派とか、人道主義という人達が、そこを履き違えてしまうと誤った方向に世の中を導くことになる。
 本当は、法律に合わせて生きるしかないのではないだろうか。
 もし、自分がそういう目に子どもを遭わしたとしたら、ただひたすら子供に謝罪するしかないと思っている。
 そして、もう一つ。
 駅周辺の再開発事業など公共の利益を考えた土地の活用に反対して居座るなど、土地に執着する人達である。
 こういった人たちも少数で弱者であるといえる。しかし、実際は、弱者とは言えなくなっているケースが多い。
 特に駅周辺に住んでいる人たちは、駅から近いなどの利益を享受している。
 しかし、それ以上にみんなが住みやすい街づくりのために、その土地を必要とするケースがある。
 以前、ある不動産屋さんと話していたとき、「土地は預かりものだから、みんなのためになるように有効に活用できるようにしなければ・・・」と言っていたことを思い出す。
 権利を主張することは簡単である。応分の負担をしていくことは難しい。
 しかし、強者でも弱者でもない多くの人達が、淡々と義務を果たし、応分の負担をしている。一部の強者と弱者が強者になり、普通の人たちが、法律にあった生活をして、静かに毎日を送っているような気がしてならない。
 少数意見を尊重したとしても、尊重しすぎると、多くの普通の人達の負担が増えるのである。