ライバルは誰?
502教室に参加させていただきながら、あまり診断士受検に役立つことを書いていない。少し後ろめたい・・・。
ライティングデスクの書棚には、
目指せ【合格】
1日3時間確保
☆夜2時間
○朝1時間
毎日継続
と書いた紙をビニールケースに入れて立てかけている。しかし、継続したためしがない。
勉強のほうは何とか時間をやりくりしているが、時間にしてみれば1日のほんの少しの時間である。あとは、土日のいずれかを丸一日使っている程度である。
もっと時間を割くことができる人からみれば、本当に少ない時間だと思う。
朝早く家を出て、スターバックスなどのコーヒー店で1時間程度勉強したり、電車の中で勉強したりすることもあるが、それだけでも不十分である。
それでも、1年資格の学校に一度も休まずに通っていた時間は大きい気がする。
人によっては、同じ受験生をライバルとして、より多くの時間を割くことが大事のように考えている人もいるが、これまでの経験からすると、試験にパスすることも大事だが勉強しながら得た知識の重さが最近よくわかるようになってきた。
座右の書「般若心経 人生を強く生きる人の101のヒント」公方俊良著:三笠書房刊に、「人と争わず自分と戦うー最高の平和」という章がある
柳生宗矩が、自ら取得した境地を門弟に語った。
「私が二十年にわたって剣を学んで会得したことは、自分自身に克つことだ」と。
あるとき、宗矩が道場に行くと、門弟の一人が他の短い剣を持っている門弟に対し、「剣は、短いと戦うのに不利だ。長い剣を持つようにすれば、優位に立てる」と論じていたのを、宗矩は「剣が短くても決して不利ではない。この剣が相手の剣より一尺短ければ、一尺前に進めば相手と互角になる。ニ尺前に進めば、相手を倒すことができるではないか」と。
そして著者は、この話から、「世の中には、あらゆる面で長剣と短剣の差がある。しかし、金や名があれば有利、なければ不利とする、短絡した思いに囚われていたら、それは戦う前に既に自分自身に負けている」という。「金なし、名もなし、コネもなしという、ないないづくしの人生であっても、自分の足りないところを一歩も二歩も踏み込み、相手と互角に挑んでいく気迫をもって生きることが、己に克つということ」と。(一部抜粋)
そして、釈尊の苦難の道にたとえて、著者は最後にこう述べている。
波羅僧羯諦。つまり世のため人のために自己のロマンを求めて進んでゆくことは、辛く苦しいことかもしれません。しかし、ロマンを求める心のないことは、もっと苦しいことです。一つのことに、ひたむきにとらわれていく、人生のロマンをあなたは持っていますか。
今もっている全ての時間を診断士受検のために捧げることはできないが、長い目で見れば、必要な時間を確保することはできる。「やる気さえ失わなければ・・・、ライバルはやる気を失うかもしれない自分自身だ」と、いまは考えている。