夫婦別姓

 内閣府が先月27日に発表した「家族の法制に関する世論調査」の結果によると、夫婦が別々の姓を名乗ることができる選択的夫婦別姓制度について、法改正反対派が2001年に実施した前回調査から増加する一方、容認派は減少し、賛否がほぼ拮抗(きっこう)したということだった。
 それについて、各紙で「別姓反対って本当?」といった記事が出ていた。
 東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/00/kur/20070210/ftu_____kur_____000.shtml)では、「『別姓反対』増えたって本当?内閣府調査の内実は…」と題して、調査データを精査してみると、回答者の年齢層が熟年層に偏っているうえ、別姓を名乗る夫婦にかつてなく寛容な“もう一つの世論”が見えるといったように書いている。
 夫婦別姓としたい人たちは、“氏”にどんなアイデンティティー(ある人・物が他の人・物と異なってもっている独自性。同一性。 )を求めているのだろう?
 以前ブログで取り上げた竹馬の友で大親友のK君は、三人兄弟の長男でありながら、妻の姓を選択し妻の両親と同居している。
 K君の父親は大酒飲みで早くに亡くなり、母一人で生活しているといった状況も合わせると、世間から見れば「長男なのに・・・?」、「母親一人で住まわせて親不孝な・・・」といった感じかもしれない。
 しかし、知っている限りでいえば、K君はunizouの周囲にいる誰よりも親孝行な人だと思う。彼は、毎週といっていいほど週末に母親の様子を見に母親の元に出かけ、夕食を共にしている。K君に言わせると、親孝行なことは何もできていないし、まだ足りないということらしいが・・・。
 男性でこんなにこまめに実家に顔を出しているといった人は、会社でも聞いたこともないし、世間でもそうはいないと思う。一緒に暮らしていても奥さんと母親が不仲だったり、両親のことに関心のない人も多い。一緒に暮らしていても、親孝行と言えない人の話は良く聞く。
 それに比べ、奥さんが自分の実家に顔を出すというのはしばしば聞いたことがある・・・。
 以前、K君に「どうして、奥さんの姓を選択したの?」と聞いたことがあった。
 「中学校の教科書に、民法学者の夫妻が『新民法になって、結婚すると新しい戸籍ができる。そのとき、どちらの姓を名乗るかは自由だ。お互いに恨みっこなし。さいころで決めよう!』といったことがでていて、そういうものかと思った。由緒ある家柄でもないし、老舗の若旦那でもないのだから、どちらでもいいと思って・・・」というようなことだった。
 さらに「不便はないの?」と聞くと、「慣れればそんな大した話ではないよ。その名前なんだと思えば・・・。だって、生まれたときだってそうでしょ。却って、新しい人生が始まったと思えば、楽しいし・・・。それに、まるっきり新しい人生でもない都合のよさもあるよ・・・。」と言っていた。
 最近、「母親や亡くなった父親と一緒の墓に入れないのはどういう気持?」と聞いたことがあった。
 「以前は、何だか寂しい気もしていたけど、今では、所詮墓は天国か地獄へ行く入り口に過ぎないというように思っている。だから、入れば、亡くなった父も母も一緒になるんだろうって思うようになってきた。ただ、自分が生きている間は自分が・・・。死んだあとは子どもたちが。それから先は、兄弟の子どもたちの誰かが墓を守ってくれればそれで十分かな。」という答えだった。
 一体、夫婦別姓にこだわる人は、K君の選択をどう思うのだろうか・・・?