沈み行く月

 今日は、風の強い日だった。
 至る所で、自転車がなぎ倒されていた。
 こんな風の日もあるが、静かで、穏やかな日もある。
 先週の金曜日、2月2日は満月だった。
 朝、新幹線で移動しているときに、地平線に沈む満月を見た。
 太陽が沈む様子とは違って、物凄く神秘的な印象を受けた。
 色は、冷たいオレンジで、ほんのりと照らされているといった印象である。
 こんな月を見るのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。
 昼間の月は、“白”というイメージがあるし、夜の月は、“薄緑”や“灰色”といった感じがする。
 月にもいろいろな表情があると、そのとき、ふと思った。
 そして、そんな月を見られたことを、暗示的というのか、啓示的なことのように感じた。
 何かに触れて、暗示的、啓示的に感じることは、今までの人生でもたくさんあった。
 特に、喜び、怒り、そして哀しみや楽しさを味わったときに、不思議と道端の花、空、太陽、木々、星など森羅万象に何かを暗示されたり、啓示されたりした。 心が求めて、そんな風に自分で考えているだけなのかもしれないが・・・。
 いや、違う・・・。本当に何らかの啓示、暗示なのかも・・・。
 その時思った暗示的、啓示的に感じたことは、次のようなことだった。

 人は、太陽のような人であったり、月のような人であったり、様々である。
 そして、月のような人と決め付けても、月がいろんな表情をするように、ひとりひとりがいろんな表情を持っている。
 会社に来ているときの表情だけが、その人のすべてを表しているわけではない。
 だから、その人のすべてを知る、本当のその人を知るということは、難しいこと。
 その難しいことを自覚し、相手を知ろうと努力して初めて、少しは相手に近付けるというもの・・・。
 だから、人生は面白い。

 ここ2週間ほど、課内の社員と面談して、よく口にしているのが、「たった5㎡、たった25㎡四方に一緒になったのだから・・・」という言葉。
 課内は小さな島が5つ。一つ一つは、5㎡。課全体で25㎡。
 そこに偶然乗り合わせたような30名の社員。
 精神的に参っていたK君のことがあって、みんなにK君を理解してもらおうと伝えた言葉である。
 ここにきて、課内の社員のK君に接する態度が変わったのと、K君も精神的な辛さを乗り越えたように感じている。
 そんな気持が、沈み行く月をみて、啓示的、暗示的なもののように感じたのだろうか・・・。
 実際のところはわからないが、自分なりに出た答えを信じているのは事実である。