モチベーション

 先日、以前長野で勤務していたときの部下H君から社内メールをもらった。
 社内メールは、次のようなものだった。

 最近、給料は頭打ち、代わりに社会保険料所得税ばかり多くなって、もらえる手取りも年を重ねてもあまり変わりません。
 そして、処遇も係長や課長になれずに、止まったままです。
 そんな状況で、どうモチベーションを維持していけばいいのでしょう?

 こういう手紙を見ると、労働組合エスカレーター式に処遇がよくなることや給料をよくすることばかりを組合員に訴えていることの弊害を思わずにいられない。
 頂点に立つ人は一人しかいない。その仕事は本来胃が痛んだり、夜も眠れなかったりするくらい大変で苦しいものであるはずである。だって、何万人もの社員とその家族の生活、そして、消費者に向かい合っているのだから・・・。
 中間管理職にしたって、社長と比べれば抱えることが少なくなるくらいで変わりない。
 今、自分が中間管理職の立場にいて、たまに怖くなるときがある。
 自分で負いきれないしくじりをしてしまわなかいか・・・と。
 そして、自分が何かをしでかすということでなく、部下の仕事上の失敗や、部下の非行(飲酒運転などの交通事故やサラ金からの借財等)だってありうる。
 だから、自分から好き好んでなりたいと思うほど、軽いものではないはずである。
 そんなときにいつも読み返すのが、いつも書棚において、折に触れては見ている座右の書「心の迫るパウロの言葉」(曽野綾子著:新潮文庫)である。

【百八十度の心の転換 受けるより与えるほうが幸いである】
 パウロが回心したのは、主から目をつぶされるような、「ひどい目に遭った」からではなかった。パウロはその後再び、エルサレムの神殿で祈っていた時、
 「主を見ましたが、主はわたしに、(中略)『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人のもとに遣わすのだ』と仰せになりました」(使徒行録22・18、21)
 この簡潔な表現の中に、私はある種の羨望といたましさを感じる。羨望というのは、パウロが、主に召されて、生涯の任務を明確に与えられたという点である。彼は選ばれたのであった。もはや人生で迷うことはない。
 しかし、選ばれるということは必ずしも喜ぶべきことではない、と私は反射的に思う。級長に選ばれたら悪いことはできない。組合長に粗ばれたら時間がなくなる。社長に選ばれたら孤独になる。指揮官に選ばれて負けたら、戦犯で処刑される。選ばれるということはいっとき名誉かもしれないが、後にはむしろ苦しみの連続が待っているだけである。

 選ばれたら、その覚悟を持って望まなければいけない。
 年を重ねたから、処遇がよくなったり、給料がよくなったりすれば良いというだけでは済まされないのである。
 そして、H君には、同書の「民主主義の解説者 神が貸し与えてくださったものはそれぞれに違う」を抜粋して次のように返信した。

 私は、偉くなりたいとか、どういった仕事をしたいかはあまりこだわっていません。ただ、自分が持って生まれた才能で、人の役に立てることが何かということは、この年になっても自問自答しています。そのことで、自分の心の拠り所になっている本の一節を紹介します。参考にしてください。

 「教える才能を頂いている人は、教理を教える。慰め、力づけることを得意とする人は、弱っている人を元気づけに行く。お金によって施しのできる人は充分にお金を出し、リーダとなる人は骨惜しみせずに尽くし、人を助けることのできる人は気持ちよく助けることなのである。
 この時、教える人たちが知的だとか、施しのできる人が金持ちだから偉いとか、リーダーシップを持つ人が優秀なのだとかいうことは、人間の側の判断なのである。神はそれらの仕事のどれもが、同じように大切であることを知っておられた。だから、才能に違いのあることは、神が個人個人に贈った贈り物をされたということに過ぎず、それにおかしな優劣をつけたのは、その神の意図の分からない人間の判断だったのである。(中略)
 つまり、神から見ると、すべての仕事は全く同じなのである。総理大臣の職務なら偉くて、地方の小さな町の公務員はそれに比べたら大したことはない、ということもない。肉体労働を一切しない管理職が上で、頭を使わない工場労働はそれより下級だということもない。本当のことしか言わない学者は偉くて、嘘を書くことを仕事とする小説書きはダメという判断もない。
 「もし、あなたがたのうちに自分をこの世で知恵のある者と思う人がいるなら、本当に知恵のある者となるために、愚かな者となりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。」(一コリント3・18〜19)


 彼からの返信には、「折に触れ、読み返していきたいと思います」と綴ってあった。
 モチベーションを持てるかどうかは、その人の人生観によるところが大きいような気がしてならないと最近思っている。
 「2005-09-02 男女雇用機会均等法http://d.hatena.ne.jp/unizou1972/20050902にも、この一節は取り上げています。