仕事を楽しいと思うとき・・・
仕事が楽しいと思うときは、どんなときだろう?
最近、訳あって課内の人間一人ひとりと面談している。
忙しい中面談させられる相手も、「なんだろう?」「忙しいのに?」「早く終わりにしてくれよ!」といった感じかもしれない。
「訳あって・・・」とは、「職場の改善すべき点を提案してもらうため」ということで面談しているのだが、実際は、一人ひとりのモチベーションを確認し、お互いを思いやっているかどうか、自分の領域だけ終わればそれでいいと思っていないかといった点を知りたかったからである。
そんなことを踏まえて何人にも面談を繰り返しているうちに、それぞれの人にとって「仕事を楽しいと思うときとは?」ということを、突き詰めて考えるようになったのだ。
「仕事そのものが楽しいと感じる」ということは、稀にあるかもしれないが、そんなにはないだろうと思う。
しかし、工夫しながら仕事をしていくと、どんな仕事でも、結果の如何に関わらず、そのプロセスを楽しめることはいくらでもありうる。
つまり、単純な作業でも、やり方を変えて時間を短縮したり、OA化して効率化したりといったことに仕事の楽しみをみつけることは、日常茶飯事にありえることだと思っている。
ただ単に縦に並べてあったものを横に並べるといったことでは、そこに人間の意識(創意工夫)が入らなければ、それはいたって退屈なものになるはずである。
その退屈を味わっては、仕事の楽しさを知ることもなく、悪循環に陥ってしまう。
創意工夫しない⇒楽しくない⇒創意工夫しない⇒楽しくない・・・
仕事を楽しく面白くすることは、そのときそのときに全力を尽くして、創意工夫することだと思う。そうすれば、失敗、成功に関わらず楽しめる。
また、一人でなく、組織の人間が一体になって、仕事をしていくことだと思う。
企業経営理論を学習した際、T○Cのテキストに「組織改革に関する諸論点 2 一体化度と無関心度」という項がある。
- 一体化度・・・「組織の構成員の価値観や目的が組織の理念や目的とどの程度一致しているかという程度を表すもの。
- 無関心度・・・無関心圏の大きさ、すなわち命令に対しどの程度受動的に行動するかということを表したもの
実際、面談しながら、一体化度が低く、無関心度が高いと感じられる人も中にはいた。
事実、仕事を抱えすぎてアップアップしている人がいても、意外とそういった困った状況を改善してあげようという行動に出ない。普段は、普通に会話しているのに、肝心なところで何にも判っていない。
つらい仕事が楽しくなるのは、きっと、それぞれが創意工夫をし、一体化度が高く、無関心度が低い職場環境にあれば、きっと「仕事が楽しくてしょうがない」といったくらいになると思う。
まだまだ、これからいくらでも改善の余地のある、unizouにとっては「仕事は楽しい」と思わせる職場なのかもしれない・・・?