トラウマ

 「怖いんですよ」
 面接していた課内のNさんが、心の病にかかったK君に接することをこう告げた。

 「こんな上司が部下を追いつめるー産業医のファイルからー【著者荒井千暁 文芸春秋刊】」の「第二部 倒れそうな部下をどう救う? 一部下や同僚が提示するサイン 『気づき』」の重要性」に、ガンの早期発見・早期治療のための市民検診や人間ドックに代表されるチェックシステムと「心の病」のチェックシステムについて、次のように書いてある。

 心の病で、その役割を果たすものはあるか?システムとはいえないだろうが、あるとするなら周囲からの「気づき」であり、病むメカニズムへの理解である。
 とりわけ上司や同僚といった職場の「他人」からの気づきが切り札といってもよい。
 ここで誤解を恐れずにいっておこう。職場のメンタルヘルスのキーマンは、精神科医ではない。治療を要する段階になればキーマンといえようが、働くものたちを心の病から守りたいのであれば、環境内にいる人物たちの総和がものをいう。

ということで、「職場の作業効率をあげるため」にと称して、課内の全社員に面接をした際に出た言葉である。
 なぜ、そんな言葉がNさんから出たのか。
 実は、Nさんは以前、やはり「心の病」にかかったAさんという30歳前の女性と一緒に仕事をしたことがあった。そのAさんは、心の病のせいで一度長期休暇を取り復帰した際にNさんと同じ仕事をすることになったという。
 ところが、復帰後しばらく出勤したものの、再度長期休暇に入り、そのまま出勤できずに退職したというのである。
 その時、「Aさんに対し何もしてあげられなかったこと」、「自分では普通に接していたものの、結果として救えなかったこと」などが原因で、K君も自分のせいで同じようになるのではないかとトラウマになり、「怖い」と思うようになったという。
 実は、unizouにも同じような経験があった。随分前のことになるが、やはり長期休暇後復帰してきた社員と一緒になり、最初は良かったが、結局その人は退職した。
 休み始めた当初に、何度か電話や手紙など連絡を取ったり、直接会いに行ったりしたかったが、同僚という立場でもあり、上司ではなかったので結局何もせずに終わってしまった。
 やはり、Nさんのように、「何もしてあげられなかった」という思いが、「退職した」と聞いた当初はあった。
 しかし、今では、できなかったことを後悔するより、二度とそういうことがないように、接してあげることが大事だと思っている。
 荒井先生がいうように、「環境内にいる人物たちの総和がものをいう」のであり、つまり、家庭であれ、職場であれ、その環境にいる人にとって「居心地がよい」ことが「心の病」にならない大事なことだと思うからである。
 つまり、「心の病」かかっていようといまいと、たった一人でも同じ数メートル四方にいる人に無関心であってはいけないと思うのだ。
 そして、ただ単に、周囲の人が「怖がらず」に「普通」に接してくれればいいと思うのである。

 上司や同僚から見て、以前と違った印象が感じられることがある。憔悴しきっている、疲れ果てて見える、表情が暗く元気がない、反応が遅い、ボーっとしている時間が増えてきた、ため息が多い、落ちつかない行動が目立つ、飲酒量が増えているといった変化である。
 いわゆる「気づき」とは、これらがキャッチできるかどうかである。
(中略)
 そのうち「体調が悪いので本日は休みます」という連絡が来なくなる。
 この場合は症状が進行していると判断され、何らかの手を打たなければならない時期と考えてよい。何らかの手というのは、上司や同僚から電話したり、親しい同僚から携帯からメールしてもらったりする方法が薦められる。
 一回ではなかなかつながらず、連絡が取れないことも珍しくない。その場合は夕刻から夜にかけて、もう一度トライして欲しい。うつ状態に入っていると、午前中は何もする気が起きず、寝ていることがあるためである。
 しかし、実際には自覚している身体症状や精神的症状の訴えを聞く機会のほうが多く、ポツリと出たひとことを、いかに体調不良のサインとして受け取れるかが重要だろう。
 そのためにはアンテナを伸ばして情報をキャッチするとともに、ぽつりのひとことが出せるような職場が大事である。

 実際、K君は年末から年始にかけて、不安定だった体調と精神状態もここのところ落ち着いてきた。
 原因は、結局、仕事の量に追われてしまっていてパニックになっていたという。やらなければいけないものが、期限を過ぎて心に引っかかっていたという。
 そこで、仕事の量を整理して、何をどこまでやるか、どのようにやるかを明確に告げるようにしただけで、本人は「落ち着いてきました」という。
 上司として、ずーっと、きちんと見てきたつもりだったが、結局十分ではなかったのである。
 やはり、周囲の人間も気遣ってくれないと、不足するのである。
 荒井先生が言うように、上司だけでなく「あるとするなら周囲からの「気づき」であり、病むメカニズムへの理解」が大事なのである。
 Nさんにも、トラウマを脱して、同僚としての普通の役割を期待している。